今川聖次郎 いまがわせいじろう
今川聖次郎は、弘化元(1844)年6月11日に生まれた。
今川は、長年胃を病んで少しも治らなかった。
明治15年(1882)頃、近所の人から「結構な神様」の話を聞きつけ、三日三夜のお話とお願いで、30年来の胃病が、すっかり治った。
このとき以来、信仰の心を決め、清次郎であった名前を、聖次郎と改めた。
教祖(おやさま)より、
「富士山は、頂上は一つやけども、登る道筋は幾筋もあり、どの道通っても同じやで」
と聞かされ感激し、
「火事になっても、風むきで火が止まる」
との話も聞いている(『稿本天理教教祖伝逸話篇』 108話「登る道は幾筋も」)。
翌16年には、9歳の長女のヤスが花疥癬となったとき、教祖よりおたすけいただいている(『稿本天理教教祖伝逸話篇』129話「花疥癬のおたすけ」)。
明治20年、岡山と東京より、来て欲しいとの依頼があり、「おさしづ」を伺って、まず岡山に、ついで東京へと出かけている。
明治24年、芦津分教会(現・大教会)設立に際し力を尽くし、明治27年7月22日、東津支教会(現・分教会)の初代会長となっている。
明治39年6月11日、69歳で出直し。
[参考文献]
- 天理教芦津大教会史料部『真明芦津の道』(巻1、巻2)(天理教芦津大教会、1953〜1956年、2009年復刻版)
- 真明芦津年譜編纂委員会『真明芦津の道 別冊年譜(巻1)(天理教芦津大教会、2011年)