八生兵庫分教会基本情報
- 所在地:兵庫県神戸市兵庫区水木通り10丁目1-7
- 設立日:平成22年5月9日
- 系統図:兵神大教会→名田分教会→琴緒分教会→天浦分教会→八生兵庫分教会
- 祭典日: 月次祭 / 毎月2日 御霊祭 / 毎月18日
教会設立までの流れ
昭和10年ごろ
天浦分教会二代会長木下寿美子の導きにより、実家の兄夫婦にあたる西村末吉・久子が入信(信仰初代)。
その背景には、西村家代々に続くリウマチ、夫婦の問題と長男の事情があった。
※高度経済成長の波に乗り、営んでいる内張の会社は小規模ながら順調に発展。西村久子は従業員をにをいがけし、別席・修養科へ導くなどのおたすけに励む。木下寿美子からは、「兵庫の姉さん」と呼ばれ、慕われていた。
昭和23年
西村武郎(信仰二代目・一郎会長の父)おさづけの理拝戴。
昭和31年
西村武郎・栄子夫妻に長男・一郎(三代目・現会長)誕生。
昭和41年
西村武郎・栄子の長男、一郎の小児リウマチを契機に、八生兵庫布教所開設。
→西村久子が初代布教所長を務める。
心定めとお尽くしをお受け取り頂き、一郎の身上が治まる。
昭和50年
西村一郎おさづけの理拝戴。
昭和52年
西村久子出直しにより、西村武郎が二代布教所長を務める。
昭和58年
西村一郎、木下寿美子の御命により、天浦分教会へ日参を始める。
昭和61年
西村一郎、村橋順子(改め西村順子)と結婚。
平成2年
西村一郎夫妻、木下寿美子の御命により、二児を連れて天浦分教会へ住込む。
平成7年
阪神大震災により、自営業(西村内張)の会社、布教所、垂水区の自宅が全壊。
平成13年
木下寿美子先生お出直し、その直後に西村一郎もくも膜下出血で倒れるが、奇跡の御守護を頂き、内張業を廃業し、たすけ一条の心を定める。
平成14年
天浦分教会三代会長木下範三先生の御命を受け、現在の教会の地点である、兵庫県神戸市兵庫区水木通10-1-7に復興し、西村一郎が三代布教所長を務める。
平成19年
1月 布教所神殿の鎮座祭・起工式。
9月 布教所神殿普請のお許しを頂戴する。
平成20年
9月 布教所プレハブ解体→天浦分教会へ布教所移転。
12月 神殿普請着工。
平成21年
神殿普請上棟式。
平成22年
3月 教会設立のお許しを頂戴する。→西村一郎、八生兵庫分教会初代会長に就任。
5月 鎮座祭、教会設立奉告祭執行。※兵神大教会直轄北神館分教会のお目標様を譲り受け、新調して頂戴する運びとなった。
八生分教会の動き
Ⅰ教勢
- よふぼく 約300人
- 教人 約20人
- 教会住込み 約40人
- 上級住込み 10人
- おぢば管内学生 4人
- 月次祭参拝者 110~120人
- 布教所 3カ所 講社 7カ所
※2019年1月現在
Ⅱ布教活動
- 約10人が毎日9時30分におつとめをし、夕づとめまでにをいがけ。
- 夕づとめ後、1人が駅前で神名流し、2人が午後8時~11時まで夜布教。
- 毎月、各地(神戸市内5カ所、西宮市、芦屋市、松山市、天理市)にて布教実習を実施。
- 毎月、別席団参を実施。
Ⅲ会活動
- 天浦分教会にて毎月開催されるこども会へ20~30人参加。
- 自教会でのこども会に10~20人参加。
- こどもおぢばがえりへ毎年約100人が参加。(少年ひのきしん隊にも2~3人が参加)
- 大教会の鼓笛隊へ7人が参加。
- 月次祭日、夕づとめ後、青年会のねりあいの場「青の思案場」を開催。
- 天浦分教会の毎月の例会へ4~6人が参加。
- =神名流し・路傍講演・戸別布教・教理勉強。
- 自教会「婦人会の集い」に約20人が参加。
- 天浦分教会、「ヤング婦人会」へ3人が参加。
日課表
5時 起床・清掃
6時 朝づとめ~12下り・朝席(お願いづとめ)
8時頃 朝食
9時半 お願いづとめ→にをいがけ出発
16時半 目安で帰宅
17時半 夕づとめ~てをどり(2下り) ・夕席
18時 夕食(青年は駅へ12下り)
20時 ねりあい
21時半頃 終了
22時 就寝
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