立教185年7月号 天理教八生兵庫分教会 よろこび月報

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立教185年6月号 天理教八生兵庫分教会 よろこび月報

ご挨拶

御恩報じの仕切りへ─そして教祖百四十年祭へ!

日々それぞれの持ち場立場において、八生兵庫分教会の上に絶大なるお力添えを賜り、誠にありがとうございます。

新型コロナウィルスの感染も収束に向かって、ようやく明るい兆しが見え始めましたが、それに代わる新たな感染症が広がる恐れがあり、又、ロシアによる侵略戦争によって引き起こされたエネルギーや食糧の問題は世界の経済活動や国民生活に深刻な状況をもたらしています。

しかし、このような状態に至った根本の原因は、「今さえよくば、我さえよくば」という、恩を忘れた人間の身勝手な隔て心であるとお聞かせ頂きます。

それゆえ私共ようぼくは、日々世界の治まりを願っておつとめをしっかり勤め、おたすけに勇んでかかり、欲の心や身勝手な心を除去する努力を続けなければならないと思います。

特に今月は御恩報じの中でも極めて重要な、大教会を通してのおぢばへの仕切りを運ばせて頂く月でございますので、心定めの完遂を目指し、教祖のご存命の理を頂き、親身のおたすけの中から真実込めて運ばせて頂きましょう。

さて、去る6月11日待ちに待った天浦創立80周年記念祭が、大教会長様ご夫妻をはじめ、上級の親々のお入込みを賜り、盛大に勤められました。

一手一つの陽気で勇んだおつとめが勤められた後、大教会長様が神殿講話に立たれ、天浦のこれまでの道すがらに触れられた後、

願う誠の心に現れる利益(りやく)こそが神の姿であり、教祖の存命のお働きの 証しである

とし、教祖百四十年祭活動に向かっては、

親神様・教祖の実在を確信し、年祭活動の眼目である教祖のひながたを実践を通して人だすけの上に教祖のお働きを頂けるよう勇んで務めて頂きたい─」

と述べて講話を締め括られました。

この大教会長様のお言葉を胸に、仕切り、そして教祖百四十年祭活動に向かわせて頂きましょう。

今月も何卒、よろしくお願い申し上げます。

翼をひろげて

立教181年3月26日 順子奥様 団参バス車中のおはなし

たすけ道場への想い

私たちは平成2年に、道一条を定めて夫婦で天浦分教会に住み込ませて頂きました。  

それから5年目にして、阪神大震災で現在の教会が  建っている場所にあった自宅が全壊致しました。

これまでも上級から教会になるようにとのお声を何度も頂きながら、社長であった父はそのお声に添えずに商売を続け、いよいよ神様が会社を潰して下さったにもかかわらず、布教所の神様だけを別のマンションに追いやった形で、二階建てのプレハブを建てて商売を再開しました。

私たちは非常に残念な思いを抱えながら、

気兼ねなく人さまをお呼びしてどなたでも住み込んで頂けるようなたすけ道場をしたい・・・上段のある神殿で鳴物を揃え、手を揃えて、勇んでおつとめをつとめたい─」

ただそれだけを一途に思って、おたすけに明け暮れておりました。

真逆の親の声

当時から八生兵庫は年限も信者の数も、どの部内よりありましたのでだんだんと教会設立の機運が高まり、まずは神殿普請を目指して土地を探そうとしておりますと、木下寿美子先生から・・・

あんたらは土地を探したらいかん、おたすけで与わるから。

と、、、反対に、その当時の範三会長様からは、

早よ探せよ、早よせえよ。」

と全く真逆の親の声、、、

確かにどちらも深い親心でしたので、普請へのはやる胸の内をおさえながら、私たちは全く身動きのとれない5年間を過ごさせて頂きました。

その他の部内の教会が次々と建ち上がっていく中で、正直、心の中で前に進めない無念な思いが全くなかったと言えば嘘になります。

それでも教祖百十年祭以後、私たちがおたすけをした方々が次々と住込み、またその方々からにをいがかかり、布教所の教勢はどんどんと拡がりつつありました。

その当時、天浦は多額の普請金の返済中で、仕切りといえば、

何とか救けて頂いたご恩報じを・・・」と自分たちの苦労をお供えする意味で、夫婦で垂水からおぢばまで100km・200kmの距離を徒歩で往復したり、そういった理作りをする程、お尽くしに対して、もう真剣勝負の日々でした。

くも膜下出血の節

そんな或る年の10月末、、、忘れもしません。

主人が倒れました。解離性くも膜下出血レベル5。脳幹動脈瘤2発破裂で呼吸停止

ほぼ即死状態で救急車で病院に運ばれ、主治医の口から

息の根が繋がっているだけでも奇跡という程の重傷で、恐らく 開頭手術をしても元に戻ることは不可能、最悪は植物状態で機能も戻らない、口もきけなくなるでしょう・・・

と聞かされました。

また「相当難しい手術になるので8時間はかかる」と言われました。 

それが(わず)か2時間半で看護師さんが私たち家族を呼びに来ました。その瞬間…「あぁやっぱり駄目だったか。」と思いました。

しかし看護師さんの口から「大成功ですよ!」との一報が・・・

なんと、開頭せずにソ径部からカテーテルで細い血管を通し、脳幹の破裂部分を(ふさ)ぐコイルがバツンッバツンッと決まったそうです。

これは数年後にわかった事実ですが、実はその時その病院には県下に3~4台しかない最先端のカテーテル治療ができる医療機器がつい最近導入されたばかりでした。

更に駆けつけて下さった医師が奇跡的にも、それを扱える先生だったんです。

奇跡の裏づけ①

実はこの奇跡には「一郎くんが倒れた!」と聞きつけられた天浦の範三前会長様が、即座に一千万円という理立を上級に運ばれお願いづとめをして下さったという真実の裏付けがありました。 

やはりここ一番救けて下さったのは、理の親でした

その理で失くす命をとりとめましたが、まだ意識は戻りません・・・

その晩、天浦では当時の住込み全員で緊急の練り合いが開かれ、教会の仲間が皆、この節に対して心を定めて納消して下さいました。

ある青年さんに至っては新婚旅行の費用を全額・ある婦人さんは その場で指輪を外して賽銭箱に投げ入れ、退院するまでの間、毎晩教会の皆が十二下りのお願いづとめで命乞いをして下さいました。

奇跡の裏づけ②

天浦において、こんな姿はこの節の後にも先にもありません。

これは天浦分教会が食べるに食べられない貧しい時代に、八生兵庫の信仰初代・西村久子祖母が義理の妹にあたる理の親・木下寿美子先生の理を受け、まだ深い理合いもわからない中で、陰ながら教会に尽くし住込みの方にも心を配り、お米を、物を、着る物を運んで、とにかく陰で尽くされたそうです。

そして孫の代になって、こういった形で伏せ込まれた理が吹いてくるんですね。まさしく

『尽くし運んだ理はどこにもいてはせん。』

無念を嘆いた祭文

確か主人が倒れた直後の布教所の月次祭は、私が祭主を勤めました。

「それまでの十年間どの親戚よりも人救けを一生懸命やってきて、その答えがこれか・・・」この実情を全く受け止めることができず・・・

ただ無念です。本当に無念です・・・」と祭文を奏上したことを思い出します。

その頃、ある有名な先輩布教師が

西村さん、あなたたちがこれまで一生懸命やってきた苦労にいよいよこの節から芽が切れて双葉が出てくるのよ。』

そう励まして下さいました。・・・今なら痛いほどよくわかります。

節の渦中にいた私には、その言葉さえ受けとめかねる心境でした。

しかし、確実に教祖は道をあけてやるために倒して下さったんです

理だけが頼り

とにかくおさづけを取り次ぎました。

でも意識の戻らない主人の横についていても、神様のご守護は頂けない・・・」

そう悟り、倒れて5日目でしたが、私は女子青年の行事に人さまをお連れしておぢばに帰らせて頂きました。

ちょうど神殿を参拝をさせて頂いている時に、携帯電話に「今、意識が戻りました!」と・・・その瞬間、やっぱり『人を救けてわが身救かるや!』と確信しました。

その後、少しずつ動けるようになり、11月26日が迫ってきた時に「この日だけは外せません!どうかおぢばに帰らせて下さい。」と主治医にお願いしました。

まだ眼底出血で全盲の状態・・・病院側も

「どうなっても知りませんよ・・・一筆書いて退院して下さい。」と。

その時の脳外科の先生が、こう仰いました。

「奥さん、僕は天理教のことはよくわかりませんが、ご主人はその神様に救けられましたよ。病院始まって以来の奇跡です・・・同じ症状で入院した方は、未だに機能も言語も戻っていません・・・」と。

それを聞き、改めて教祖の鮮やかなご守護を確信致しました。

教会の土地定まる

さすがの父も大事な長男の命の危機を目の当りにして創業90年の会社を閉じ、その土地を天浦分教会にお供えしてくれました。

お陰さまで、その場所で布教所を再びスタートさせて頂きました。

そして天浦分教会より「この土地は、西村さんのところに寿美子先生がずっと通い続けた場所だから、飛地境内地ということで神殿建築をしなさい」とのお赦しを頂き、教会の土地が定まったのです。

普請へと寄る人財

それからすぐ教祖百二十年祭の三年千日の旬には「我が身我が家のことは言うのやないで。」と・・・親の声を頂いて、普請の”ふ”の字も口にせず、御恩報じに徹して勇みに勇んで年祭活動を通りぬきました。いよいよ年祭が明け、普請に相応しい人財も集まり、普請・教会設立に向かっての具体的な動きが始まります。

普請をする資格作り

しかし、気楽なもので私たちは建設会社が決まったら勝手に普請は出来上がると思ってました。

いやいや、そこには現実、資金が要るんですね。

私たちはお尽くしのために作った借金こそあれ、その時の手もとに、一銭の資金もありませんでした。

ましてや大きなお尽くしのできる信者さんがいる訳でもない・・・

そこで普請金の借入れのために何件もの銀行を回りました。

私たちの行くところことごとく()られてしまいました・・・

審査が通らない・・・あぁ、念願であったふしんもここで頓挫(とんざ)か、、、3月26日の日でした。

最後の頼みの綱であった銀行に断られ、私はおぢばの北大路をションボリと歩いていました。そんな私の姿を大教会の俊子奥様がお見かけ下さり、次の日の朝に

順子さん、何があったの!すぐ相談に来なさい!」とご連絡を頂きました。

その親の理によって気づかせて頂いたことは、

「理立が足りてなかった!・・・2億円の普請をするだけの私に資格作りが足りなかったんだぁ!」

と。俊子奥様の励ましにより、そう思えたときに気がシャンッとして、そのときパッとひらめいた方のところに駆けつけました。

このたすけ道場の普請の値打ちをお話しさせて頂き、もう無理を承知で土下座で頼み込みました。

 なんとその方がこの私の心意気だけで・・・

「わかりました、3日後に振り込みます!」

とお返事下さったのです。

「借用書も何もいらない・・・人救けをしているあなたを信用する。」

と言って下さり、本当に信じられない教祖の御守護を頂戴し、その普請の一割を理立として上級に運ぶことができました。

待ってくれていた銀行

すると見事なほどにその直後、行った銀行の支店長さんから

「以前から天理教さんに貸したかった・・・天理教さんと関係を持ちたかった!」と快く借り入れを承諾頂きました。

その他、法律の改正により建築確認申請の許可が下りず、地鎮祭後2年間も足踏み状態が続くという始末でしたが、その理立を運んでからというもの(とどこお)っていた一切の問題が(ことごと)(ひら)かれていきました。

待ちわびた吉野の(ひのき)

神殿を担当して下さった材木屋の社長さんが私たちのたすけ道場の為に吉野の立派な(ひのき)を取り置いて下さっていたんです。

その檜は白い布に巻かれ、大きなトレーラーに揺られて大開通へと運ばれて来ました。

そしてクレーンで三階の窓からゆっくりと中へ運び込まれました・・・もう言葉にできない感動でした。

その真実な材木屋の社長さんが

「あんたらは、ほんまに熱心におたすけしとんやから、なんぼでも協力するで!」

と言ってほとんど利益をとらず、立派なひのきを提供して下さり、十年という長い月日を経て、本格的に神殿建築が始まりました。

こうして改めて声に出して人さまに話す事はとても大事ですね。

一つ一つ、恩がよみがえってきます。

あぁこんなにも救けて頂いた・・・お陰お陰の中で、私たちは救けて頂いてきたなぁ・・・本当に胸が熱くなります。

先生のおしこみ

木下寿美子先生からのお仕込みは     

『この道は無から有を生み出す道! 親の声を聞かせて頂くということは、自分の思いは立たんやろ・・・けれども自分の都合は自分の徳一杯のこと。自分の都合を超えて親の声をまっしぐらにハイ!と受ける中に奇跡が出てくる あほらしい事を選んで、負けて、損をして通りなさい!だから、あほらしくない人生が出てくる。難儀を喜び、苦労を楽しみなさい!』

寿美子先生のおしこみ

毎回毎回の練り合いのお仕込みがこれだったんです。

まさしくそれは、先生のお通りになられた道であり、教祖のおひながたの五十年もまさにそうであると思います。

自我没却の道

立教185年6月8日 一郎会長様 朝席のおはなし より

恐るべき習慣

習慣というものは恐ろしいもので、気のつかない間に習慣通りの言動をしてしまっています。

私もお手振りに関して、毎朝意識をして努力していますが、油断するとすぐ自分の癖が出てしまいます。

おつとめに限らず、私たちは至るところで、自分の癖性分が出てしまっています。

しかし、そこで気短かを起こさず、心を奮い起して、理のあることは貫いて、理のないことは素直に改めましょう

勝ちを譲る

人間が幸せに生きていく上で最も理に適った生き方とは

「人さんに勝ちを譲る」

これなんです!

ともすれば、みんな自分が勝ちたい、勝ち誇りたい・・・相手を言い負かしたいものですが、そこで勝ちを相手に譲って、相手に勇んでもらう、はたはたに喜んで頂く 寿美子先生はこれこそが本当の幸せな生き方であると教えて下さっています。

教祖から教えて頂いた陽気ぐらしとは、自分を全く無にして周囲の人に勇んでもらい、周囲の人が理のある心になってもらうために、こちらは骨身を惜しまずにつとめることです。

自分ファースト

この道は自我没却の道です。

をやの思いと人間の思いとは、往々にして逆の場合が多い。

親神様の思いは、世界いちれつをたすけたいという子供かわいい一条の親心。

反対に、我々人間は自分かわいいという自分ファーストの自我執着の心です。

これををやの心に近づけていく これが成人です。

そこにはじめて、こちらの苦労と相手の喜びと、この二つが入り混じった時に本当の意味の陽気ぐらしができます

親を光らせる

私はこの陽気ぐらしを目標に、寿美子先生のご指導のもと18年に亘って仕込んで頂いたことを誇りに思っています。

それはそれは自分の思いが強く、プライドが高く、短気で欲深い私のような人間を、よくぞここまでご丹精下さったものです。

先生の実家である西村家の長男である私の素質を見定められて、「こやつは仕込めば陽気ぐらし世界へのいい人財になるかもしれない!」と、親心をかけ続けて下さったに違いありません。

かつてのその青年が今や、先生の薫陶を受けたようぼくとして使命感をたぎらせ、勇みきった人間に生まれ変わったわけです。

私がこの道を勇んで通るということが、先生を光らせているわけです。

親々を光らせるかどうかは、これからの皆さんの勇んだ通り方にかかっています

にをいがけ・おたすけの成果

別  席  者7名
修 養 科 生1名

月間よろこびスケジュール

日   程                               日  付行    事時   間
7月3日(日)     八生兵庫 婦人の集い/女鳴物練習 【別席団参①】10:00 神殿集合
 4日(月)天浦 霊祭10:00執行
  5日(火)  <西区布教>    9:30神殿集合
  7日(木)<兵庫布教>    10:00 神殿集合 兵庫9:00発
10日(日)天浦分教会月次祭 前日ひのきしん13:00 集合(天浦神殿)
11日(月) 日()日( 土)天浦 月次祭10:00執行
12日(火) 日()日( 土)名田 月次祭10:00執行
15日(金)琴緒 月次祭11:00 執行
16日(土)   <松山布教>      5:30兵庫発
18日(月)八生兵庫 霊祭 仕切り10:00執行
20日(水)<天浦分教会布教実習>10:30天浦神殿 集合
21日(木)兵神月次祭前々日ひのきしん/<中央区布教>9:00大教会神殿/13:00~
22日(金)<垂水布教>9:30神殿集合
23日(土)兵神 月次祭/八生兵庫 女子の集い  <10:00執行>/14:00
25日(月)  八生兵庫 喜竜会10:00 直会室
26日(火)御本部月次祭 <遥拝式>  よう <10:00執行>
28日(木)≪八生兵庫☆ミニこどもおぢばがえり≫ 
29日(金)≪八生兵庫☆夏の別席団参≫9:00 兵庫出発
8月 1日(月)八生兵庫分教会 月次祭 前日ひのきしん 
2日(火)八生兵庫 月次祭/青の思案場10:00執行 / 18:00~