ご挨拶
昨年中はそれぞれの持ち場立場において、八生兵庫分教会の上に絶大なるお力添えを賜り、誠にありがとうございました。
今年はいよいよ教祖百四十年祭三年千日年祭活動仕上げの年ーー
過去二年間の年祭活動中にお見せ頂いた数々の御守護への感謝と至らなかった点への反省を踏まえつつ、諭達第四号と兵神大教会、天浦分教会の活動方針そして当教会の掲げる、「心の温度を二度上げよう「パッション(情熱」、ミッション(使命」、モーション(行動」、喜ぶ・楽しむ・尊重する」を指針に、教祖の道具衆として、にをいがけ・おたすけはもとより、真柱様の思いである、教会から離れているようぼくに対しての丹精にも力を込め、ようぼく一斉活動日、天浦ようぼくおぢばがえり、更には三座のお願いづとめなどの活動に懸命に取り組ませて頂きましょう。
そして教会内容の充実とそれぞれが成人した姿をご覧頂いて、教祖にご安心、お喜び頂けるような務めをさせて頂きましょう。
本年も一年、何卒よろしくお願い致します。
八生兵庫分教会 立教188年 年頭の心定め(人づくり)
人づくり | 初席者 | ようぼく | 修養科生 | 教人 |
心定め | 60名 | 10名 | 5名 | 1名 |
昨年(R187)の成果 | 66名 | 14名 | 4名 | 0名 |
にをいがけ・おたすけの成果(令和6年12月3日~令和7年1月14日)
別席者 | 8名 |
令和6年12月 3名 | 令和7年 5名 |
年祭活動仕上げの年─
“明るい心”で通りきろう!
立教187年9月2日 一郎会長様 月次祭 神殿講話より
教祖ひながたの道は、親神様の御心のままに心明るく通られた...
とご諭達にとありますように、つまり親神様の心は“明るい心”なんです。
そして大教会の活動方針を受けて、年祭活動後半の私のテーマは、“明るい心”であります。
では“明るい心”とはどういう事なのかーー
辞書で引いたところ、「喜ぶ心、楽しい心、弾むような心、幸せを感じる心、晴れやかな心」とあります。
私は
“喜び探しの達人になろう!”
と自分に言い聞かせながら、日々努力を重ねております。
この頃はいちいち探さなくても、自然に喜びが満ち溢れてくるようになりました。
喜べることがあれば、誰でも喜べますね。
しかし喜べないことが出てきたときにどう喜ぶか――
そこで喜び探しをします。
また人生には”ふし”というものがあります。
ふしは誰でも頂きたくはないものですが、その現象の背景に、親神様・教祖のが必ずあります。
親の「たすけてやりたい、成人させたい」という親心をキャッチできるかどうかが勝負です。
私たちよふぼくは日頃からその感性を養っておかなければなりません。
何でも親という理戴くなら、いつも同じ晴天と諭し置こう。(明治28年10月24日)
親の理を頂く、つまり上級の親々が言って下さることを素直に身におこなうことです。
そうすれば、明るい晴天の心で通れるということを教えて下さっています。
逆に言うと、親の言われる事を無視して自分の思いを通していくところには、曇天の心・曇天の人生しかないということです。
精神の理によって働かそう。・・・
心さえしっかりすれば、神が自由自在に心に乗りて働く程に。 (明治31年10月2日)
ここで言う”しっかり”とは、変わらぬ堅い決意を定めて、神を信じて迷わずに喜んでやり貫く心です。
よふぼくは皆、一すじ心を見澄まされてピックアップされた魂の持ち主なんです。
誰に何と言われようと、誰一人聞いて下さらなくても、三年千日を”明るい心”で通りきらせて頂きましょう。
40年の布教人生に涙
立教187年11月1日 順子奥様 朝席のおはなしより
今の旬に、あちらからこちらから聞こえてきますのは、
「教祖百四十年祭残すところ1年ーー」
という声でございます。
秋季大祭において真柱様より、
「年祭活動はまだまだ・・・」
という厳しいお声を頂戴致しました。
~ 中 略 ~
「この度の教祖百四十年祭、私は一体どういう活動をさせてもらったら良いのか・・・」
と思いあぐねる内に、ある時私の
ある時私の心は涙でいっぱいになっていました。
その涙は悲しみと苦しみの涙だったのです。
これまでの四十年間の布教人生を思い返した時に、においがけに歩かせて頂く中に大勢の方々と出会い、自分なりに
「おたすけ・おたすけ...」
と思って通って参りましたが、私はたくさんの方々ををたすけ落としてしまっていたことに気がついたのです。
あの人もこの人もと、次々に顔が浮かんできました。
「もっとあの方に温かく接する事が出来ていたら。もっと私に許せる心があったなら、私の対応の悪さと親心の足りなさによって、救かりたい人と救けたい教祖の綱を切ってしまったのではないか」
と思い至ったとき、慟哭するようなお詫びが私の胸に湧いてきたのです。
「本当に申し訳なかった――」
と泣けてきました。
おつとめの最中に、車に乗っている時にも、お詫びが湧き上がってきてやみません。
「どうしたら良いのかなぁ?――やはり、自分自身が芯から変わらなければ、どうあがいても何も変わらない。」
それから私はあまりの申し訳なさに、毎朝
「お詫び 順子」
と書いたお供えを賽銭箱に入れるところから始めました。
理作りからの気づき
大教会から、
「身上おたすけ・人たすけ」
のお打ち出しを頂きましてより、次々と事情・身上のおたすけが入ってきました。
当然自分の力では、どうすることも出来ません。
どうでも教祖に働いて頂きたいと、朝4時から1人で、救けたい方のひとり一人の名前を挙げて、おつとめ・十二下り、そして神殿掃除をさせて頂き、理作りを重ねて参りました。
ふと教会内に目をやると、八生兵庫の住み込みの男性方は、みんな優しくて、黙々とひのきしんに励み、仲間同士労りあい、おとなしくたすけ合っているのです。
それに引き替え女性たちは、寄ると触ると諍い合い、外からの参拝者にも恥ずかしいような状態でした。
その時、
“あっ!”
と気がつきました――
男性の長は一郎会長です。
一郎会長は政治家の方々にどんどんにをいをかけ、おぢばへお連れし、人が人をお誘いして、日々楽しんで通っているのです。
夜中はよく歌を歌っています。
まぁ何とも無邪気なお人柄です。
それに引き替えその家内である私はと申しますと、気難しい事この上なく、徳の薄い出来の悪い女の台であります。
教会でも家庭でも、国ですら台が悪かったらこけてしまうのですから、これは何とかしなくてはと、私どもの教会では朝づとめの15分前、毎朝5時45分に神殿で、住み込みの女性と共に、おつとめをした後、
「今日も一日、教祖の御心に添わせて頂きますよう努力させて頂きます――よろしくお願いします。」
とお互い挨拶を交わしてから一日を始めております。
言葉一つから
また婦人の集まりでは、様々な教理の勉強をしたり、女鳴物など月2回お稽古をするのですが、如何せん教えるのが私ですから、大したことは出来てはおりません。
せいぜいお昼を食べたり、お稽古の後にスイーツを食べたりして、ワイワイと楽しみながら続けさせて頂いています。
そして、次に
“言葉一つがよふぼくのカ――”。
お互い同士、ため口や汚い言葉を使うことのないようにと、申し合わせておりますが、それでも台所ではため口が飛び交い、そこへ最もややこしい私が入って行き、更に酷い口調で注意をするわけですから、まさに混沌...カオスの状態です。
おつとめで祈り込む
そんな中でも、信仰から離れていた方々が少しづつ帰って来られています。
もちろんそれぞれ大きな身上・事情を抱えてのことです。
そんな方々に、何とか救かって頂きたいと、26日のかぐらづとめ、早朝の十二下り、天浦での三座のおつとめで、真剣に祈り込みます。
親神様・教祖は、私たち子供が人を救けたいという真剣なお願いをするならば、何でも必ず聞いて下さいます。
いつも教祖は私の無茶振りにも
「もうしょうがないね」
と苦笑いしながらでも、ちゃんと聞いて下さいます。
ですから、たとえおたすけの方が末期がんであっても、絶対たすかるという核心を持って、おたすけに掛からせて頂きます。
教祖へのご恩返し
そしておさづけでは、直肌で自分の手のひらに
「あぁここが悪いな...相当悪い」
おさづけを取り次ぎ通わせて頂く中に、数ヶ月経ちますと、
「あぁ良くなってきた!⋯あぁ消えた!」
こんな鮮やかな教祖のお働きを見せて頂き、大地に平伏してお礼を申し上げる他ありません。
けれども、数々の無茶なお願いを叶えて頂いた当の私は、そのご恩返しが全く出来ていません。
そのご恩返しは、やはり私自身の心が生まれ更わり、信仰者らしい人間となっていく以外にはないと思っています。
今回の年祭は、教祖へのご思報じ。
そしてそれは私自身の心の成人――
そこに尽きると考え、残すところ1年、決して後悔のないよう、親孝行と人たすけに頑張りたいと思います。
ご案内
大教会より、年祭活動の実践項目“身上おたすけ・人だすけ”のお打ち出しを受け、毎月3日、座りづとめ・十二下り(三交代)を一座として、僅かな休憩を挟みながら、午前9時より三座のお願いづとめを真剣に勤めます。
それぞれがたすかって頂きたい方の願いの筋を用紙に書いて理立を添えて神前に供え、おつとめ着を着て、当てて頂いた役割を天浦分教会の上段で勤めさせて頂けるというまたとない機会です。
(12月のみ午前7時より、六座勤められます)
毎月団参日を設定し、初席者・中席者を対象にマイクロバスで帰参致します。
おぢば・別席場を賑やかにすると共に、年祭活動が更に盛り上がっていくよう、“ぢばへ!ぢばへ!”と心を寄せて、日々のにをいがけ・おたすけに力を入れて参りましょう。
昨年、一昨年の真柱様の秋季大祭におけるお言葉を受け、様々なきっかけで少し信仰から離れてしまっているよふぼくの掘り起こしを主眼に、年祭活動仕上げの年である本年は7回(2・3・5・6・9・11・12月)、既存のよふぼくの修理・丹精の場として“よふぼくおぢばがえり”が実施されます。
参加される方々には何よりもまず親里へ足を運んでもらい、ご存命の教祖にご挨拶申し上げ、天浦の会長様の親心でご用意して下さる詰所でのお話会や模擬店を楽しんで頂き、少しでもこの度の年祭活動に心を向けて頂けるよう、真心を尽くし、導かせて頂く者の成人の場とさせて頂きましょう。
日程 | 時間:11:00 本部神殿(西礼拝場)集合 |
2月16日(日)、3月16日(日) 5月25日(日)、6月29日(日) | 9月28日(日)、11月24日(月) 12月14日(日) |
立教188年1月25日(土)15時~17時
東講堂にて開催される「若き布教者の集い」に八生兵庫分教会後継者 西村真一さんが出場されます。
4月10日までに上級・天浦分教会に運ばせて頂く尽くし運びの御用です。
この理立を通して、親孝行と人たすけを実践実行できる有難い旬であり、親の理によって心を磨き、成人させて頂ける尊い御用です。
月間喜びスケジュール
日程・日付 | 行事 | 時間 |
1月15日(水) | 琴緒 春季大祭 | 11:00執行 |
16日(木) | <松山布教> | 5:30兵庫発 |
18日(土) | 八生兵庫 霊祭 / 女鳴り物練習 | 10:00神殿集合 |
20日(月) | <天浦分教会布教実習> | 10:30天浦神殿 集合 |
21日(火) | 大教会前々日ひのきしん | 9:00 神殿集合 |
22日(水) | <垂水布教> | 9:30神殿集合 |
23日(木) | 兵神 春季大祭 | 10:00執行 |
25日(土) | ◇若き布教者の集い◇ | 15:00~東講堂 |
26日(日) | 御本部 春季大祭 | 7:30八生兵庫出発 |
27日(月) | 八生兵庫婦人会 パンフレット配り | 10:00 神殿集合 |
28日(火) | <兵庫布教> | 10:00神殿集合 |
30日(水) | <西区布教> | 9:30 神殿集合 |
2月1日(木) | 八生兵庫分教会 月次祭前日ひのきしん | |
2日(金) | 八生兵庫分教会 月次祭 | 10:00 執行 |
若き布教師の集い楽しみです。
今年は歴代最高だといっても良いようなメンバーだと思います。
絶対いきます。
なんなら前夜から寝袋で待とうと思います。
素晴らしい面々ですよね。
絶対行きましょう!