天理教人名辞典 山田長造 やまだちょうぞう

山田長造 やまだちょうぞう

安政4年(1857)10月13日、河内国曙川村刑部(現、大阪府八尾市刑部)に山田佐助の長男として生まれた。

明治10年(1877)頃、悪性の病を患い5年間病床に呻吟していた。

ある人から大和の不思議な神様の話を聞き、「おぢば」へ帰って教祖(おやさま)にお言葉をいただき、約1週間の滞在で全快のご守護をいただいて入信し、明治13年に結成された、同村の松田音次郎を講元とする敬神組に加わった。

明治18年に河内大水害に遭い、摂津国西成郡西中島村川口(現、大阪市淀川区)に移住し、農業と人力車夫をしながら布教を行った。

だが、長造は大家族を抱え布教に専念することができなかったので、自らが教えを伝えた小山弥三七を中心とする川口講社に所属した。

この講社が後に西成大教会へと発展した。

小山(初代)、結城安藏(2代)、中尾善治郎(3代)の各歴代会長に仕え、長年にわたって教会の役員を務めた。

明治23年5月に「おさづけの理」を拝戴した。

大正10年(1921)9月9日、65歳で出直した。