立花善吉 たちばなぜんきち
大阪府西区本町通りに住む立花善吉は、明治13年(1880)4、5月頃(陰暦3月)自分のソコヒを、つづいて父の疝気を、井筒梅治郎の導きによってお救けいただいて入信し、おたすけに精を出していた。
おたすけに出ているときは元気なのだが、出ていないときは気分がすぐれないでいることを教祖(おやさま)に申し上げると、
「あんたは、これからおたすけを一条に勤めるのやで。世界の事は何も心にかけず、世界の事は何知らいでもよい。道は、辛抱と苦労やで。」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』115話「おたすけを一条に」)
と聞き、それまで、昼は魚の行商、夜はうどん屋と商売をしていたが、その後は、たすけ一条に奔走したという。
その中に、魚田やすが、娘すえのソコヒのおたすけを願い、神戸から大阪まで、善吉を訪ねてやってきた。
善吉は神様のお話を取り次ぎ、3日3夜のお願いを2度重ねた。
しかし、ご守護をいただくことができずに、やすは諦めて帰路についた。
国津橋を通りかかったとき、背負われていたすえが、「お母ちゃん、あれは」と叫んだ。
視力の無くなっていたはずの娘すえに、安治川の水面に、太陽がキラキラと輝くのが見えたのである。
やすは驚喜して善吉宅へもどり、さらなるおたすけを願った。
善吉は、やすを頼りに、神戸で布教した。
【参考文献】
- 高野友治『天理教伝道史』第1卷(天理教道友社、1954年)
- 天理教芦津大教会史料部編『真明芦津の道』巻1、巻2(天理教芦津大教会、1953~1956年、2009年復刻版