山本藤四郎 やまもととうしろう
嘉永3年(1850)9月4日、大和国式上郡笠村(現、桜井市笠)にて、父藤五郎、母旦友の長男として生まれる。
慶応元年(1865)3月におやしきに参拝しているが、入信は明治11年(1878)末頃である。
父藤五郎の眼病につき、父ともどもおやしきに参拝。
1カ月の滞在中に身上を守護頂いたことにより信仰を始める。
以後、山坂3里(12km)の道を足繁くおぢばへ帰り、信仰を深めていく。
明治18年には心実組に加入し、上ノ郷村笠に講社を結成し、講元となる。
明治20年(月日不詳)におさづけ(おさずけ)の理を拝戴し、一層人だすけの上に励んだ。
明治26年4月1日、上之郷出張所を設置するとともに所長に就任。
藤四郎の徹底した低い心とひたむきな求道心により、徐々にではあるが、笠を中心として大和の東の山間部に教勢は確実に伸展していった。
明治27年には山林を開いて600坪の境内を整地し、明治28年4月の神殿落成奉告祭には1,500名にも及ぶ人々が参拝している。
この事について村人達は「今日の群衆は、この村始まって以来の事」と囁き合ったと伝えられる。
明治29年1月12日には、城法の事情から兼ねて城法支教会3代会長に就任する。
以後、内々を治める上で心を砕き、ひたすら低く低く通り、食事時に座敷に座ることはなかったとも伝えられる。
後年、「見ぬき見通し」の諭しで信者の誰彼となくから「おやさん」と呼び慕われた。
なお明治36年2月に兼任していた上之郷出張所長を辞任し、長男の福松に担任を変更。
昭和3年(1928)7月30日、79歳で出直し。