伏見宮文秀女王 ふしみのみやぶんしゅうじょおう
伏見宮邦家親王の子。
弘化元年(1844)の生まれ。
孝明天皇の猶子となって円照寺に入る。
明治6年(1873)8月、伏見宮家へ復籍するが、大正15年(1926)2月の死去まで宮門跡として円照寺に留まっていた。
明治7年12月23日(陰暦11月15日)教祖は、奈良県社寺掛稲尾某の呼び出しにより、この伏見宮文秀女王のいた山村御殿円照寺まで出頭し、取り調べを受けた(『稿本天理教教祖伝』118-120頁)。
伏見宮邦家親王の子。
弘化元年(1844)の生まれ。
孝明天皇の猶子となって円照寺に入る。
明治6年(1873)8月、伏見宮家へ復籍するが、大正15年(1926)2月の死去まで宮門跡として円照寺に留まっていた。
明治7年12月23日(陰暦11月15日)教祖は、奈良県社寺掛稲尾某の呼び出しにより、この伏見宮文秀女王のいた山村御殿円照寺まで出頭し、取り調べを受けた(『稿本天理教教祖伝』118-120頁)。