ご挨拶
天浦分教会別席団参に向かって!参拝者別席者をお与え頂こう!
日々はそれぞれの持ち場立場において、八生兵庫分教会の上に誠真実を賜り、誠に有難うございます。
さて今年も早や4分の3が過ぎ去りましたが、年頭より親々から頂くお言葉を指針に、教会の常時活動たるおつとめと布教又、道の将来を担う人材の育成、ようぼく中席者の丹精を地道に務めることを心がけ、実践させて頂く中に人作り、お尽くしなどの上に大きな成果をお与え頂いております。
しかしその反面、道中には成人を
促す上からの様々な節をお見せ頂い
ておりますが、全てを大難を小難にと
お導き頂き、心をお育て頂いております。
殊に今月は、大恩ある上級天浦分教会の上に成人理立を運ばせて頂く月柄でございます。私共八生兵庫に繋がる一同が今日こうして命をお守り頂き、運命救済の結構な道を辿らせて頂けるのも、木下寿美子先生はじめ天浦の歴代会長様ご夫妻のご苦労と親心のお陰であることを常に 心から離すことのないよう、親への伏せこみを通して理を頂き、理立を心定め通り運ばせて頂けますよう、懸命に勤めさせて頂きましょう。
そして青年会総会にあわせての天浦別席団参、更には11月30日の兵神大教会創立百三十周年記念祭に向かって、一人でも多くの参拝者、別席者をお与え頂けるようにをいがけ、おたすけに励ませて頂きましょう。
今月も何卒宜しくお願い申し上げます。
にをいがけ・おたすけの成果
別 席 者 | 16名 |
修養科生 | 2名 |
裸になれてよかった!
木下寿美子先生教話集『親から子への贈り物』第1集「13、貧に落ちきる」より
天保九年十月二六日『みきを神のやしろにさし上げます』と仰った途端に、今度は『貧に落ちきれ』ですね。
我々が考えたら、そんな無茶苦茶な。
世界中をたすけるのに、貧乏に落ち切ってどうなる。
ところが、今思案さして頂いたら『貧に落ちきる』と言う言葉は『無』に『白紙』になれと言うことだったんですね。
では、35年前に「教会売って、裸になって、お供えせえ!」と言われた時、「はい」言うて売らしてもろて、本当に裸で五年ほど通りました。
それから5年程経って、ここへ神殿のご守護を頂きましたが、その時にもまるで、夢のようなあれあれと言うているうちに、建ってしまいました。
そして30年経って又、建築。今度は、物や金ではなくお互いこの教会で、大勢の人が暮らしてますが、今までこんなに皆が、理解しおうて、教祖一途に通った日は、無かったと思うんです。
毎日毎日、口を開ければ『存命の理』『教祖ひながた』『教祖にお縋りしましょう』と。
~ 中 略 ~
「勿体無いなあ」私みたいな頑固で強情な人間でも、段々と『尽くした理、運んだ理は、神が確かに受け取っている』『一粒万倍にして返すで』と本当にそうやなぁと!
やっぱり今から35年前に、裸にならしてもろた、それがものすごく良かった。
裸になる時は私は何も考えずに、親の声やから裸になった。
どうせ苦労は覚悟の上やから、とことんやって見ようという風な大それた根性で、裸になった訳です。
今になってみたら、親の声やったんや、救けの声やったんやなぁと。
今になってみたら本当に、自分の何が嬉しいかと云うたら、自分の自我に段々と気が付き出した、これが本当に嬉しかった。
ひながたから学ぶ─貧に落ちきる意味
立教182年9月19日 一郎会長様 朝席のお話より
貧に落ちきるとは、
- 低い心になる
- 欲と自我執着を去る
- 形あるものを一旦無くして、そこに新たなものを築く
- 難儀苦労を楽しむ
教祖は親神様の声のまにまに、貧に落ちきれ・・・
とまずは中山家にあったものを次々と手離して、人様に施されました。
それを貰った人々はそのときだけは喜んだけれど、結局は世間体にあわせて教祖のことを嘲り罵ります。
ですから、ひながたにおいて大切なことは、困っている人に物を与えることが目的ではないんですね。
~ 中 略 ~
ここがまだ布教所でプレハブの時代、月次祭の直会では「どうぞ、遠慮なく食べていってくださいね!」と振舞いますと、当時ご飯だけを目的に来ている方々も沢山いまして、こんな大きなジャーが、あっという間に空っぽになって、挙句の果てに冷蔵庫から勝手にビールをばんばん持ち出したりしてその場は有難がって帰りますが、そういう方々に限って、外で私のことを罵り倒すんです。
『あいつは悪いで・・・阿呆や馬鹿や・・詐欺師や・・・ドロボーやとまで、言い回られるんです。
まさに教祖のひながたですね。
じゃあ、そう罵り倒された私はどうなったのかと言えば、当時から年金も給料も何もない私が人だすけという最高のご用をさせて頂き、おんぼろのプレハブだったたすけ道場から、現在こんな立派な神殿を与えられ、参拝に来られるメンバーの内容も確実に変わってきました。
飯だけ喰らう方やタダ酒を呑みにくる方はもうほとんどいなくなって、素晴らしい人材が次々と引き寄せられ、上級や親の役に立つ人材が育って下さり、どんどん結構になり、誠に有り難いことです。
寿美子先生は今から60年前、親の声一つで何もかも納消して裸になられました。
それが昭和29年でした。それから昭和37年には「白亜の殿堂」とも呼ばれる立派な神殿が建ち上がりました。
確か私が3・4年生の少年会時代で、おばあちゃんから10円貰って、省線に乗って天浦に行き、当時垂水のあの辺りはほとんど山で、その中に聳え立つ天浦の神殿の銀屋根がキラキラ光っているのを今でも覚えています。
そして30年経って現在の神殿が建ち上がります。
先生が仰るには、この建築は物や金でなく、お互いが理解し合って教祖一途に通れたと・・・( 涙 )・・・
─感動感激ですね。先生の通りきられた道に、皆が「おやさま、おやさま・・・」と歩かせて頂いているのですから、貧に落ちきることは途轍もないことですね。
翼をひろげて
立教182年6月18日 順子奥様 修養科一期講師講話より
布教初日雨嵐
天浦分教会に住み込んで直ぐ「明日から赤ちゃん二人連れて朝からにおいがけに行きなさい!」という思いがけぬ親の声が出まして、私の布教生活が始まりました。
ご丁寧にもその初日の天候は雨嵐で、乳母車に赤ちゃん二人を積んでレインカバーをかけ、自分はレインコート、オシメは人様のおうちのガレージで替え、2歳の子にはちっちゃなおにぎりを軒先で食べさせて・・・
とそんなにをいがけ第一日目でした。
後悔ににじむ涙
当然のことながら、お話を聞いて下さる方なんて全くいません。
訪ねたお家が留守でホッとして、断られてホッとする・・・
そんな感じでどうやって何を話していいかわからない毎日を重ねました。
そして、教会に帰る急な上り坂で、ふと「私、毎日毎日、何やってるんやろ? 誰一人として聞いてもらえないのに・・・」と道一条に踏み切ったことを後悔して、涙が滲むような思いをした日もありました。
その時、私の胸に浮かんできたのが、東本(大教会)の初代・中川よし先生だったんです。
「そうや、先生は単身で赤ちゃんを背負って野宿で帰るところも食べるものも無い中を通られたんや・・・それを思えば、私は帰る場所もあり、食事も用意され、先人の先生方のご道中から考えれば、遊んでいるみたいなもんやなぁ。」
そう思えた時に、不思議と心が軽くなったんですね。
そうして心が軽くなると、においがかかり始めたんです。
扉の向こうにロマン
最初は全盲の方でした。
2歳の子を背負い片手で乳母車を押して、 もう片方の手で全盲の方の手を引いて日参をするというおたすけの日々が始まりました。
~ 中 略 ~
団地を片っ端から戸別に回っていると、ある家のドアが10cmぐらい開いていまして、覗いてみると、奥の方の部屋に大きな犬が座っている、その横に上半身裸の男性が寝ているのか・・・
よく見ればその背中にお絵かき紋々が・・・
取り敢えずその家はとばして次から回り、その階を全て回りきったときに、ふと
「いいのか?これで・・・いやぁ、教祖が見ておられる!やっぱり戻ろう。」
と、こんなときに几帳面で決まりの良い性格が災いしまして、声をかけても起きないから、奥の部屋まで起こしに入って
「大丈夫ですか?私、天理教の者ですけど、・・・」というと、
「ねえさん、話聞くわ・・・まぁ座って。」
とアルバムを持ってきて「これ、わしやねん。」と見せて頂くと、まさに東映映画のワンシーンみたいな、羽織袴、白木の三宝・・・
「いやぁ、私らもこんな格好するんですけど、よう似てますねぇ。」
と、なんだかんだと言いながら、私は何も言ってないのに、向こうの方から
「ねえさん、わかってるで・・・天理教いうたらアレやろ・・・お供えやろ・・・よっしゃ、お米を供えるから10キロか?2袋か?3袋か・・・?なんぼでも言うてみぃ。」
そう仰るから、本当に教会で要りますので・・・「300キロ!」と言うと・・・
「ねえさん、ちょっと用事思い出したから、帰ってんか。」
ということで、その後別席は運んで下さいましたが、そんなこんなで、教祖から様々な出会いを頂きました。この扉の向こうにどんな方が待っているのかなぁ・・・何が展開するかなぁ・・・それはまさにロマンです。
それから10年面白いようににおいがかかりました。
困らせて下さる方が恩人
こうしてにおいがかかれば、おたすけとしてどんどん住み込みを抱えることになります。
その第一号が17歳の大非行少女でした。
親も先生も教育委員会もお手上げ・・・
そんな子を私ども家族の部屋において、寝食を共にするんですが、まぁうちの子を陰でいじめ倒し、反発し暴言を吐かれます。
しかし私はその子の姿を通して、そのおたすけによって自らお道を反発し、親不孝をかけてきた自分というものを知り、親々に対して、初めて深いお詫びがつきました。
困らせて下さる人が恩人です。
その後、その子のおたすけの筋からたくさんのようぼくが誕生し、熱心な布教師も生まれてきました。
まさにたんのうは増やす理ですね。
月間よろこびスケジュール
日 程 日 付 | 行 事 | 時 間 |
10月3日(木) | 八生兵庫 婦人の集い | 10:00神殿集合 |
4日(金) | 天浦分教会 霊祭 | 10:00執行 |
5日(土) | 【別席団参①】 | 兵庫9:00発 |
7日(月) | <西区布教> | 11:00八生瀧川布出発 |
8日(火) | <中央区布教>/成人理立 運び | 9:30 神殿集合 |
9日(水) | 【別席団参②】八生兵庫 担当 | 9:00兵庫発 |
10日(木) | 大教会伏せこみひのきしん/前日ひのきしん/おつとめ練習 | 9:30大教会/14:00神殿集合 |
11日(金) 日()日( 土) | 天浦分教会 秋季大祭 | 9:30執行 |
12日(土) | 名田分教会 秋季大祭 | 10:00執行/月次祭終了後 |
13日(日) | <兵庫布教> | 10:00 神殿集合 |
14日(月) | <西宮布教>/八生兵庫ミニ子ども会 | 10:00 神殿集合/14:30~ |
15日(火) | 琴緒分教会 秋季大祭 | 11:00 執行 |
16日(水) | <松山布教>/【別席団参③】 | 5:30 八生兵庫出発 |
17日(木) | <北区布教> | 9:30 神殿集合 |
18日(金) | 八生兵庫分教会 霊祭/教祖伝勉強会 | 10:00執行/12:45~/18:00~~始 |
20日(日) | <天浦分教会布教実習> | 10:30天浦神殿 集合 |
21日(月) | 【別席団参④】 | 兵庫9:00発 |
22日(火) | <垂水布教> | 9:30 神殿集合 |
23日(水) | 兵神大教会 秋季大祭/喜竜会例会 | 10:00執行/15:00直会室 |
24日(木) | 婦人会伏込団参/天理バザー・<天理布教> | 8:00兵庫出発 |
26日(土) | 御本部秋季大祭 祭 | ・6:00 八生兵庫出発 |
27日(日) | /天理教青年会総会にあわせた秋の天浦別席団参/ | |
31日(木) | おつとめ練習 | 10:00 神殿集合 |
11月 1日(金) | 八生兵庫分教会 月次祭 前日ひのきしん/前日神名流し (13:00出発) | |
2日(土) | 八生兵庫分教会 月次祭 | 10:00執行 |