天理教人名辞典 西田佐兵衛 にしださへい

西田佐兵衛 にしださへい

船場大教会初代会長梅谷四郎兵衛は、明治14年(1881)2月に入信し、5月に明心組講名拝戴、講元となった。

左官職人であったので、その同業者や得意先に道を伝えていた。

その中に西田佐兵衛がいた。

当時、西田家は「しもたや」であったが、船場に多くの土地を所有していた。

明治17年、京都明誠組が心学道話を用いて迫害を避けているのにならって、梅谷四郎兵衛を発起人、米谷駒吉、西田佐兵衛を総代として、心学道話講究所天輪王社を設立すべく、大阪府庁へ出願することとなった。

これら協議に当たって、西田佐兵衛宅が用いられた。

また天輪王社設立に当たって、佐兵衛の所有地大阪市南区順慶町1丁目9番地(現、船場大教会境内地一部)に講究所を建築することとなった(『稿本天理教教祖伝』275-276頁)。

しかしこの普請中、竹内未誉至らが天理教会創立運動を謀り、明心組からも同調者が出た。

西田佐兵衛もこれに流され、やがて明心組からも離れて、普請は頓座した。

後に竹内末誉至らの事件は治まり、明治22年1月15日、船場分教会が設立され、佐兵衛も同役員に任命された。

その後、信者詰所の新設、あるいは明治33年に船場分教会が類焼の被害にあったときも、その復興に土地を寄付するなど尽力した。

その後、身上で出直した。