岡本善六 おかもとぜんろく
岡本重治郎、ルイの長男として、嘉水2年(1849)11月24日、大和国山辺郡朝和村永原(現、天理市永原町)に生まれる。
明治5年(1872)に尾田シナと結婚する。
元治元年(1864)入信していた重治郎、ルイ(山中忠七、べんの二女)の薫陶をうけた。
明治12年、長男栄太郎が7歳のとき、全国的に流行していたコレラにかかり、教祖(おやさま)にたすけられてからは、一層熱心に信仰しはじめた。
明治14年8月シナが26歳のとき、教祖に
「人の子を預かって育ててやる程の大きなたすけはない。」
「世話さしてもらうという真実の心さえ持っていたら、与えは神の自由で、どんなにでも神が働く。案じることは要らんで。」
と諭されて、乳飲み子を預かった。
順調に育った預かり子を連れて教祖のもとを訪ねると、教祖は
「シナはん、善い事をしなはったなあ。」
とねぎらわれた(『稿本天理教教祖伝逸話篇」 86話「大きなたすけ」)という。
明治18年善六は、「おぢば」周辺の人々に呼びかけ、「日元(ひのもと)講」(講長辻忠作)を結成、明治23年には、2代講長となっている。
明治28年には、日元講を母体として旭日支教会を開設し、初代会長となっている。
明治39年、会長を辞任、シナとともに、教会本部へ勤め、45年5月15日、64歳で出直した。
シナはその半月後の6月2日、57歳で出直している。
【参考文献】
- 天理教旭日大教会史編纂委員会編『旭日大教会史』(天理教旭日大教会、1995年)