教会長ご挨拶
たすけの根源たるぢばへ 仕切りを真実込めて運ばせて頂こう!
日々はそれぞれの持ち場立場において、八生兵庫分教会の上に絶大なるお力添えを賜り、誠に有難うございます。
新型コロナウィルスの感染拡大は、日本国内では一部の地域を除き、収束に向かいつつありますが、世界を 見渡せばまだまだ感染が拡大している地域も多く、それらの地域では多くの者が命や職を失い、我が国においても生活や経済の上に甚大な影響が出て、先を見通せない不安にさいなまれている人が激増しています。
その中にあって、私共ようぼくは、この大節に込められたをやの御心にしっかりと思いをいたし、まずは自らの心を陽気に澄んだ心に切り替えるべく、日々胸の掃除に努めさせて頂くとともに、10月2日に迎える当教会の創立10周年記念祭、そして上級天浦分教会創立80周年記念祭に向かっておつとめやおたすけに勇んでかからせて頂きましょう。
特に今月は大教会を通してのおぢばへの仕切りを運ばせて頂く月でございます。
たすけの根源たるぢばへのふせこみ、又魂への徳積みともいうべき尊き御用に向かい、心定めの完遂を目指し、教祖のご存命の理を頂き、親身のおたすけの中から真実込めて運ばせて頂きましょう。
今月も何卒宜しくお願い申し上げます。
天理教八生兵庫分教会 西村一郎
にをいがけ・おたすけの成果
別 席 者 | 2 名 |
修養科修養生 | 1名 |
苦労がわかる、しんどさがわかるのは─まだまだ 怠けている証
木下寿美子先生教話集『親から子への贈り物』第3集「39、苦労が楽しみ」より
商売しとっても、商売が嫌で。
そしたら、なにをするのか。
一番難しいこと、信仰で生きていきたい。信仰で生きることがどんなに大変なことかはよくわかっておりましたが、それでもその中に飛び込んで65年になります。
本当に今日一日というて気楽な日はなかったです。
でも苦労がどんな楽しみであったか。決して苦労を苦労と思うたことはなかったです。
苦労もないのに、「苦労や苦労や…」言うてる人が一番の苦労であって、私自身振り返ってみて、よくあんな中通れたと思うようなことでも、自分では別にそれが苦労と思わなかった。
苦労が分かる、しんどさがわかるということは、怠けているということ。
今、私でもこうして足が痛いと言うて、これは甘えているからであって、人間は本当に一生懸命な時には、どこが悪いというようなことは、かりものですから絶対にないんです。
私の使命「いつでも・どこでも・だれにでも」
立教183年6月19日一郎会長様 朝席のおはなし より
『一言のにをいがけは、人の運命を変える。それはをやの声を聞く時、心の向きが変わるからである。~ 中略 ~ にをいがけ・おたすけこそ、我我の生命であり、至上の使命である。』
諭達第3号
私が道一条を志すきっかけとなったのは、昭和56年に発布された諭達第三号の中の前真柱様のこの文言でした。
今もなお変わらずに、私はこれを胸に生涯よふぼくとしての使命に生きています。
先日も、教会に何度も来て下さっている携帯のセールスのお姉さんに、私はこう言いました。
「私は、あなたに何度もおぢばがえりのお誘いしていますが、実はあなただけでなく、いつでも・どこでも・だれにでも、私はこのお話をしています。なぜならこれが私の使命だからです。あなたにはどうでもおぢばに帰って頂き、お話を聞いて頂きたい。」
と言うと、「はい、わかりました。あなたが すごく熱心なのはよくわかりました。・・・いずれ私がそう決めた時に行かせて下さい。」と返事を下さいました。
それがいつになるのかはわかりませんが、これでいいんですね。
においがかかるのも、かからないのも教祖の領分です。
私たちよふぼくは伝え続ければいいのです。
私はにおいをかけてかけてかけまくって、よふぼくの使命を果たしていますから、脈々とよふぼくの生命が漲っています。
現在実動よふぼくであるKさんの所には、嫌われながら21年間何百回と通い続けました。
では、なぜ天理教は嫌われると思いますか?
その一つの理由は、時間とお金の使い方が制約されるからですね。そして、もう一つは“嫌われる原理”というものがあるんです。
教祖でさえ、25年間周りの人から嫌われ続け、寄りつく者はなかったそうです。
おびや許しのおたすけから、ようやく四号のお米を持って一人、お礼に来られました。
それから ぼちぼちと人が寄り始めて、遂に飯降先生が出て来られます。
そう考えると、これが原理ですから、私たちも1年や2年少々断られても、10年や20年聞いてもらえなくても、決して諦めてはいけませんね。
そして何よりも、やはり熱情が一番大事ですよ。
7月の仕切りに熱をもって、仕切り根性・仕切り力・仕切り知恵で頑張らせて頂きましょう!
苦労が楽しみ☆withコロナ☆
立教182年7月22日 順子奥様 朝席のお話より
人生のプラスの苦労
人生の上には、三つの苦労があります。
一つ目は、「目標達成のための苦労」です。
自分で掲げた目標を達成するための努力に伴う苦労です。
二つ目は、人をたすける上にする苦労、親に尽くさせて頂く上にする苦労、つまり「自分の運命を良くするための苦労」です。
においがけ・おたすけ・つくし・はこび・ひのきしんという動きに伴う苦労、これは人生にとって プラスの苦労です。
例えば、人様にたすかって貰いたいと布教に行って、ボロクソに言われながら「すみません…」と頭を下げることも、一銭のお金もないのに、何とか親にご恩返しさせて頂きたいと思って、お願いをして回るのもこの苦労です。
おやさまは、この「理の苦労」を最も喜んで下さいます。
いんねんを理に変えて
三つ目は、本来自分が運命的に抱えた「いんねんの苦労」
です。一番目と二番目の苦労は、嫌だと思えば自分 の意志で避けることが出来ますが、このいんねんの苦労だけは、避けようとしても避けられません。
待った無し、予告無しで、病気として、事情として、災難として人生に迫ってきます。
このどうしても避けようのない「いんねんの苦労」を二番目の「理の苦労」に変えて、果たして通らせて頂けるのが、天理教なんです。
それは 自分に与えられた一の切り「時間」と二の切り「金銭」と いう命を、神様にご恩を返す為に捧げていきますから、間違いなく結構な姿になります。
我が身うらみの世界
出て来る運命は誰のせいでもありません。
そして種の無いものが成ってくることもありません。
みな我が身うらみである程に・・・不幸になっていくときというのは、そういう条件がピタッと揃ってしまうのです。
考えてみれば、全ての事件や事故は「神業」のようなものかもしれません。
前生やったやられたという種がちゃんと実ってきます。
ですから、「おぢばへ、別席へ、修養科へ!」と私たちは積極的に人だすけをやらないと不幸になっていくいんねんの事情や身上を避けることは出来ません。
おやさまのご苦労のお陰
天理教祖おやさまは、ひたすらに人をたすけられましたがたすけた人々からも罵られ、最後は、明治政府からも何の罪も無い身でありながら、留置され拷問を受けられました。
五十年間、散々な目に合い、痛い目にも合わされながら、おやさまはどんな大変な道中もいそいそと喜んでお通り下さいました。
現在、私たちようぼくが、おさづけを取り次がせて頂き、奇跡がどんどん出る元は、そこにあります。
苦労を通して心の成人
天理教を本気で信仰すれば、運命が必ず良くなります。
においがけに行って、塩まかれてありがたい、襟首掴まれてありがたい。
怒鳴られたら、怒鳴られる種を自分が蒔いてきたと悟るんです。
何も悪いことはしていないけれども「すみませんでした」と心底お詫び言うから値打ちがあるのです。
苦労を通して、心を成人させていくことこそが人間の使命ですから、7月の仕切りに向かって理の苦労を求めて、つとめ励ませて頂きましょう。
月間よろこびスケジュール
日 程 日 付 | 行 事 | 時 間 |
7月3日(金) | 婦人の集い(於:天浦分教会) | 10:00 天浦神殿集合 |
4日(土) | 天浦分教会 霊祭 | 10:00執行 |
7日(火) | 《 西区布教 》 | 9:30 神殿集合 |
11日(土) 土) | 天浦分教会 月次祭 | 9:30執行 |
12日(日) ( 土) | 名田分教会 月次祭 | 10:00執行 |
14日(火) ( 土) | 《 兵庫布教 》 | 10:00 神殿集合 |
15日(水) | 琴緒分教会 月次祭 | 11:00 執行 |
《 西宮布教 》 | 9:30 神殿集合 | |
16日(木) | 《 松山布教 》 | 5:30兵庫発 |
18日(土) | 八生兵庫分教会 霊祭/仕切り運び | 10:00神殿集合 |
おつとめ練習 | ||
22日(水) | 《 垂水布教 》 | 9:30 神殿集合 |
23日(木) | 兵神大教会 月次祭/遥拝式 | 10:00執行 |
26日(日) | 御本部月次祭/遥拝式/おつとめ練習 祭 | 6:30八生兵庫出発 |
28日(火) | 《 中央区布教 》 | 9:30 神殿集合 |
30日(木) | おつとめ練習 | 10:00 神殿集合 |
8月 1日(土) | 八生兵庫分教会 月次祭 前日ひのきしん | |
2日(日) | 八生兵庫分教会 月次祭 | 10:00執行 |