天理教人名辞典 島村菊太郎 しまむらきくたろう

島村菊太郎 しまむらきくたろう

安政5年(1858)土佐国香我美郡久枝村(現、高知県南国市久枝)に父島村庄七、母伊佐の良男として出生。

実弟伊助は、笠岡上原家の養子となり笠岡大教会2代会長となった人。

明治5年(1872)高岡郡佐川村の酒店に住み込み修業の後独立したが、失敗し借財を残したまま大阪へ出た。

明治21年大阪南堀江で海産物商を営むうち、痔が悪化。

真明組の都築竹治(高知県出身)から話を聞き入信。3度おぢばへ帰るうち平癒した。

同年7月豊島銀代と結婚。同じ頃肋膜となるが、これも信仰でたすけられ、感激し千人をたすけるという心を定める。

以後、高知で白熱的布教を展開。数々の御守護を見せられ、大勢の人が集まるようになる。

病院に入院中の人々が自分の故郷へ帰り、教えを伝えるのでまたたく間に高知県下に広まった。

布教開始3年余りの明治24年9月高知分教会設置。明治22、23年頃の教勢伸展はめざましく、高知、愛媛両県にある高知から分離陛級した各大教会の基礎はこの時期に固まった。

明治41年本部員制度が確立された時、最初の本部員となる。明治43年病状悪化。この時、梶本国治郎を養子に迎える。

明治44年1月29日、54歳で出直す。異例の早さで教勢拡大した高知であったが、島村は妻銀代と共に多くの苦労を自ら進んで受け、千人だすけの道を歩んだ。我欲のない誠の人であったと言えよう。