立教187年7月号 天理教八生兵庫分教会 よろこび月報

ご挨拶

日々それぞれの持ち場立場において、八生兵庫分教会の上に絶大なるお力添えを賜り、誠にありがとうございます。

教祖百四十年祭三年千日年祭活動も瞬く間に半分が過ぎましたが、私共はこの間“諭達第四号”と“大教会活動方針”そして“八生兵庫活動指針”を拠り所に、おつとめと布教を熱量を高めて務めさせて頂く中に数々の出会いとおたすけの場をお与え頂き、数多の不思議な御守護をお見せ頂く中に、おやの働きを確信し、成人の歩みを進めさせて頂いております。

そして、おたすけを推進する上で欠かすことのできない裏付けとしてのお尽くしの御用の上にも、心血を注ぎ務めさせて頂いておりますが、特に今月は大教会を通してのおぢばへの仕切りを運ばせて頂く月でございます。

たすけの根源たるぢばへの伏せ込み、又魂への徳積みともいうべき尊き御用に向かい、心定めの完遂を目指し、教祖のご存命の理を頂き、親身のおたすけの中から真実込めて運ばせて頂きましょう。

又、恒例のこどもおぢばがえりに向かっても、少年会最大の行事としてそのもつ意義、即ちぢばという絶対のたすかりの場所で行われ、しかも存命の教祖から息をかけて頂いて、その徳と先々の守りを頂ける素晴らしい行事であるとの意義をしっかりと心に刻み、お誘いがけに力を込めて参りましょう。

今月も何卒、よろしくお願い致します。

あまうらの歌

立教187年6月12日 一郎会長様 朝席のおはなし より

『あまうらの歌』2番

苦労を求めてこの道を 勇んで通る我らが師

この〝我らが師〟とは、(木下)寿美子先生のことです。

先生は当時、(現在の貨幣価値で)年収およそ3億円ー当時の最高級車であったクライスラーを運転手付きで乗られておりました。

そんな誰もが憧れるような暮らしを捨てて、あえて苦労を求めてこの道に裸一貫で飛び込まれました。

そして出直される96歳まで生涯一布教師として通りきられ、親孝行に徹しきり、数々の布教師を輩出し、この道の上に偉大な足跡を残されました。

真っ暗なトンネル

寿美子先生が信じた言葉

暗がりは声を頼りについてこい─」

先生はこの言葉を信じて、

「先が見えずとも、教理が分からずとも、とにかく歩き続ければきっと、なるほどという道に出られるはず…」

と、理不尽や矛盾の中、出口のない真っ暗なトンネルの中を、時として這いずりながら手探りで進んで行かれたと思います。

教祖100年祭の光

しかし教祖90年祭くらいから、ようやく明るい光が差してきました。

「もしかするとトンネルの出口が近づいてきたかもしれない…」

と、先生はそんな希望を抱きながら、いよいよ教祖百年祭の時に

「はっきりとこれに間違いない!」

とトンネルの出口に辿り着かれました。

それまではもう無我夢中であったと推察致します。

三代真柱様より

白紙に戻って一より始める

というご諭達のお言葉を頂戴してから、真剣になって取り組まれたそうです。

その結果確立されたのが、現在も続く天浦の布教体制です。

苦労を求めて一粒万倍

その天浦の布教体制の先駆けとして、先生よりこの道の素晴らしさを魂レベルに仕込んでもらった私は、迷いなくまっしぐらにこの道を通らせて頂いております。

まず自分自身がこの道を勇んで楽しんで通らせて頂く事こそ、この道を光らせ、親を光らせる事になると確信致しております。

この道は

腹の括り方

が肝心です。

元の理に

一すじ心なるを見澄ました上

とあるように、一すじ心になれずこの道を「腰掛(こしか)け」で通っておると「腰砕(こしくだ)け」になってしまいます。

苦労というものは逃げれば逃げるほど追いかけてきます。

しかし苦労を求めて飛び込んでいけば、その人にとっては苦労はなくなるのです。

苦労は種、種には一粒万倍の理がある

と聞かせて頂きます。

七月の仕切りへ、苦労に飛び込む勇気をもってまいりましょう!

教祖はご存命

立教187年6月29日 順子奥様 朝席のおはなしより

先日の御本部月次祭神殿講話において、現在修養科の主任をされておられる高井先生のお話を聞かせて頂き大変心を打たれました。

世の中がどう移り変わろうと、どんなに様々な方法論が溢れようとも、この天理教の真髄であり、教えの根幹を為す〝教祖存命の理〟を私たち道のようぼくは決しては見失ってはいけないと改めて思わせて頂きました。

そしてその教祖の親心にお応えするためにどう通らせて頂けばよいかが、このたびのご諭達にはっきりとお示し下さっております。

九分一分の理

実際に人さまの心に寄り添い、においがけ・おたすけを通して、真にたすかって頂く上には、工夫や知恵が必要となってまいります。

その方が持っておられる癖性分や徳分、また境遇等これまでどんな人生を歩んで来られたかを、何気ない会話や立ち居振る舞いから分析し、どんなタイミングでどう言葉をかけ、どうその方の心を開いていけば良いか、心を配らないといけません。

しかしそのようなことは“十”あるうちのたったの“一”なのだと教えて頂きます。

残りの九分は、教祖が私たちおたすけ人の心の誠をお見定め下さり、存命の理をもってお働き下さるかどうかだと思わせて頂きます。

無邪気な信仰

このたびお話をして下さった先生の初代(高井猶吉先生)は、教祖御在世当時、お屋敷で畑仕事をしている時に

「遠州へ行っておくれーー」

と教祖よりお言葉があり、

「はい、わかりました!」

と言って、ついた(くわ)も起こさず一銭のお金も持たずに駆け出されました。

その道中

「遠州とはどっちの方向ですか?」

と道を訊ねたご主人から、

「あんたら、遠州がどこかも知らんと野良着のまま遠州に行こうとしてんのか!今晩はもう遅いし、泊まっていきなさい…」

と言われ、その晩はそこで休ませて頂きました。

その先生の無邪気な寝顔を見て

「神様のお言葉一つ信じて、行き先も知らんと飛び出して…まぁなんと清らかな寝顔かいなぁ・・・」

と心動かされたご主人は、翌朝、身支度も旅費も全部用意し、道案内までつけて送り出されたといいます。

それが現在の静岡の道あけとなりました。

親の声を信じて疑うことなく素直に実行する中に、着るものから食べるもの、道の路銀に至るまで、みな教祖がご用意して下さるのだと感じさせて頂くお話です。

みかぐらうた 九下り目二ツ

ふじゆなきよにしてやらう 

かみのこゝろにもたれつけ

喉元過ぎれば熱さを忘れる

私たちはともすれば、時間の経過と共に大切なことを忘れがちであります。

阪神大震災を経験した方なら、よく分かると思います。

震災直後、水が無かった、電気・ガスもなく、食べるものさえなかったーーあの時何にも物資が無い中でも、いいものがあったら人さんと分け合おう、そしてほんの僅かな水や食量でもありがたいと思って暮らしていけたと思うんです。

しかし現在の暮らしを振り返って、日々勿体ないことになっている現状に気づかされます。

これはそれぞれの信仰の元一日も同じことで、つい人間はたすけて頂いた元一日を忘れ、今ここに在ることを当たり前のように思ってしまいます。

だからこそ私たちは、布教の中でたすけて頂いた話を取り次がせて頂くのだと教えて頂きました。

苦労を求め〝仕切り〟へ 

教祖の五十年にわたるご苦労の上に、いんねん深い自分が、そして我が家がたすけて頂いたそのご恩を、口に出して一軒一軒お伝えし、自分の心に、自分の魂に響かせることで、ご恩を忘れずに通らせて頂けるのだと思います。

仕切り”に向かって、教祖のご苦労を思えば、嫌われようが、引きずり回されようが、襟首掴まれようが、結構ではないでしょうかーーどうか苦労を求めて通らせて頂きましょう。

にをいがけ・おたすけの成果

別席者9名
修養科修了生2名
ようぼく3名

八生兵庫分教会 立教187年 上半期 人づくり成果

人づくり初席者ようぼく修養科生
年頭の心定め60名5名3名
7/2 現在の成果37名13名4名

月間喜びスケジュール

日程・日付行事時間
月3日(水)天浦 三座のおつとめ9:00~ 11:00~ 13:00~
  4日(木)天浦 霊祭10:00 執行
  6日(土)婦人の集い/女鳴物勉強会10:00 神殿集合
  7日(日)<西区布教>11:00瀧川布出発
 10日(水)天浦月次祭 前日ひのきしん13:00天浦集合
 11日(木)天浦 月次祭  10:00執行
 12日(金)名田 月次祭 /<西宮布教>10:00執行/10:00神殿集合
 13日(土)<兵庫布教>10:00 神殿集合
 15日(月)琴緒 月次祭11:00執行
 16日(火)<松山布教>      5:30兵庫発
 18日(木)八生兵庫 霊祭/女鳴物勉強会10:00執行
 19日(金)<中央区布教>10:00 神殿集合
 20日(土)<天浦分教会布教実習>10:30天浦神殿 集合
 21日(日)【八生兵庫 子供会】13:00 神殿集合
 22日(月)<垂水布教>9:30神殿集合
 23日(火)兵神 月次祭   10:00執行
 26日(金)御本部月次祭 6:30 八生兵庫 出発
 30日(火)こどもおぢばがえり
 ~31日(水)     八生兵庫隊 (1回目)
月1日(木)八生兵庫分教会 月次祭 前日ひのきしん
  2日(金)八生兵庫 月次祭/青の思案場10:00執行/夕づとめ後