立教187年12月号 八生兵庫分教会 よろこび月報

ご挨拶

日々それぞれの持ち場立場において、八生兵庫分教会の上に絶大なるお力添えを賜り、誠にありがとうございます。

さて、本年を振り返りると、世界では各地で戦争や内乱などの紛争が拡大し、又、地震や台風、旱魃(かんばつ)等自然災害や疫病なども頻発・蔓延して多くの尊い命が失われました。

国内においても大掛かりな犯罪集団による詐欺事件、強盗事件の多発や毎日のように報道される政治家の不正行為、又、止まらない物価の高騰による生活困窮者の増加、更にはいじめによる不登校や過重労働による教師の疲弊(ひへい)など先行きに暗い影を落とす事柄も多く、親神様の望まれる陽気ぐらしとは程遠い状況が続いています。

そうした中にあって、教祖百四十年祭活動二年目に突入し、諭達第四号、更に

教祖のひながたを手本に明るい心で通りきろう

との大教会活動方針、又、天浦分教会よりお打ち出しの三座のおつとめ、そして当教会の掲げる

心の温度を二度上げよう!」

パッション (情熱)・ミッション (使命)・モーション (行動)

喜ぶ・楽しむ・尊重する

を指針に、私達は先述した人類の未来を脅かしかねない困難な状況の治まりと陽気ぐらし世界実現のために、教祖の道具衆としての使命感に燃え立ち、おつとめを真剣に勤め、にをいがけ・おたすけに東奔西走して年祭活動を勇んで務めさせて頂きました。

その結果、「身上たすけ」と「人たすけ」の上にあまたの不思議な御守護をお見せ頂くとともに、年頭に当たって定めさせて頂いた、お尽くしについては、七月の仕切り、四月・十月の成人理立は心定め完遂の御守護を頂戴し、人作りについても、初席者・おさづけの理拝戴・修養科修了は既に達成させて頂きました。

残り20日余りとなった今、本年における残された最後の大きな御用である「仕切り」に向かって、最終日まで懸命に務めさせて頂きましょう。

たすけを急くをやの心

立教187年9月2日 一郎会長様 月次祭 神殿講話

私が大好きなおさしづをご紹介させて頂きます。

おさしづ 明治40年4月7日

にをいの事早いほうがよいで。急いでやってくれ。
急いでやってくれにゃならん。
急いでやっても良い加減になる。
残らず残らず遠い所、ゆっくりして居ては遅れる。
この人ににをいかけんならんと思えば、道の辻で会うても掛けてくれ。
これからこれが仕事や。

ゆっくりしていてはいけません。

親神様のたすけを急くお心を我が心として、ようぼくの使命であるにおいがけを、間髪入れずさせて頂きたいものです。

私は常に“いつでも・どこでも・だれにでも”の精神で、

「においをかけてかけて かけまくるんだ!」

と心に決め、日々通らせて頂いております。

身近な人へにおいがけ

今から35年前、木下寿美子先生が築き上げて下さった天浦の布教体制のおかげにより、私たち夫婦は二十数年間、ひたすら戸別訪問に歩かせて頂くことが出来ました。

一日中布教に歩くーー

これは物凄く偉大なことでありますが、現在ではかなりハードルの高い布教実践なのかもしれません。

ご諭達に、

家庭や職場など身近なところからにおいがけを心掛けよう─」

とありますように、身近な方に心を配り、寄り添い、声をかけ、パンフレットを手渡すことなら誰でも出来ると思うんです。

これまでにもたった一枚のパンフレットから、どれ程の不思議を見せて頂いたか知れません。

愛媛に道がつく

三十数年前、家内が天浦分教会の近くの公園で一人の女の子にこどもおぢばがえりのパンフレットを手渡したところ、その子のお母さんから実家の愛媛にいる姉が子育てのことで大変困っているとの相談を受け、間髪入れずおたすけに(おもむ)きました。

それから家内は幾度となく大変な事情を抱えたその家のおたすけに足を運び続ける中に、徐々に愛媛に道がつき、その地から信じられないような数々のおたすけが展開し、多くの別席者・修養科生・実動ようぼくが生まれました。

たった一枚のパンフレットのロマン

考えてみれば、現在の愛媛やよい布教所(松山)、八生瀧川布教所(西区)、百三旬布教所(垂水区)、元の町布教所(中央区)もその一つのおたすけから、次々とたすけの輪が広がり、実際のおたすけは決して生ぬるいものではありませんが、次の世代の若者が少しずつ育っております。

現在私の息子夫婦が、松山を拠点に布教させて頂いておりますが、たった一枚のパンフレットをきっかけに不思議なご守護をお見せ頂いております。

残りの年祭活動を熱い心、明るい心で通り切らせて頂きましょう!

百年祭での気づき

立教187年11月24日 順子奥様 おぢばがえり団参 バス車中でのお話より

“教祖百年祭”という旬は、九十年祭から一桁変わる大きな節目でありましたので、年祭に向けての諭達が年祭の五年前から発布されました。

あたかも百年祭に向かって全教が勇み立っていたそんな頃だと思います。

その当時私は28歳で、東京の青山でバリバリ仕事をしておりました。

もちろん年祭の重要性など全く分かっていませんでしたが、不思議と自分の心の中に

「私の人生は、本当にこのままでいいのだろうか?」

という感情が溢れてきました。

「きれいに着飾り、きれいに物を言って、一体私の足元の運命って何だろう?」

と考えた時、夫婦はいがみ合い、親子が揃わず、寂しい思いをして孤独に暮らす・・・

そんな運命しか私にはないーー

また地位や名誉・財産では、決して人間は幸せにはなれないということにだんだんと気がつき始めていたそんな頃でした。

先生とお会いするたび涙

2~3ケ月に1度、(木下)寿美子先生が、私のお店に足を運んで下さっていました。

「順子ちゃん、元気?」

と優しく声をかけて下さり、いろんなお話を聞かせて下さいました。

当時の私は先生にお会いするたびに、なぜか涙が溢れて止まらなくなるんです。

本当によく泣いていました。

いま思えば、私の魂が知っていたのだと思います・・・

このままいけば自分はどんな寂しい人生を送るのかを。

先生から聞かせて頂く“心一つのかしものかりもの”、つまりは自分の心が変わらなかったら、運命は絶対に変わらない。

祖父や祖母も、父や母も、みな同じようないんねんでもがき苦しみ、私もその一族として同じような未来しかないーー

もういっそ死んで終わりにしたい・・・

当時の私は真剣にそこまで思いつめていました。

運命の一大決心 

しかし死ぬ気になったら何でもできる─

そう思い立った私は、生涯結婚もしなくていい、今生は自分の悪い因縁を切るために全てを棄てて、木下寿美子先生のもとへ行かせて頂こう!

との一大決心で信仰の世界へ飛び込みました。

そんな私を先生は、温かく抱き留めて下さいました。

猛烈な家族の反対を押し切って飛び出してきた私を引き取るということは、大勢の信者を敵に回すかもしれないというそんなリスクを(いと)わず、どうなるかこうなるかも分からない私を抱きかかえ、お育て下さいました。

教祖百年祭は、道一条へ、生きるステージを変えて頂きましたーー

自分自身をもごまかして生きてきた世間から、ごまかしの効かない神様と自分という信仰の世界へ身を於かせて頂くことになり、年祭の大きな理によって、私はたすけて頂きました。

たんのうの百十年祭

そして迎える百十年祭は年祭の前年に、阪神大震災で西村家の自宅も会社も丸潰れとなり、それを機に“教会設立・神殿ふしん”というお声を頂きました。

さあふしんに向けておたすけに拍車をかけて勇んでいる最中(さなか)、一郎会長(当時布教所長)がくも膜下出血で倒れ、意識不明の重体。

私はその時

「もう全部終わった・・・これでふしんも何もかも頓挫(とんざ)したなぁ…」

と落胆し、会長が倒れた直後の布教所の月次祭祭文で

「無念です・・・本当に無念です」

と親神様に奏上したことを覚えています。

百十年祭から百二十年祭の間が、私にとって精神的に最も苦しい時でしたが、“節から芽が出る”のお言葉通り、百二十年祭の4年後に現在の教会設立を果たしました。

年祭ごとに親心

百年祭で道一条、百十年祭は只々たんのう、そして百二十年祭は、朝も昼も夜もなくにおいがけおたすけに奔走(ほんそう)させて頂き、百三十年祭は、次の未来を担っていく後継者らが結婚し、先々楽しみの姿を見せて頂きました。

そしていよいよ迎える百四十年祭は、じゅうじゅうたっぷり繋いで頂いた信者さんの子供さんたちの人生が、いよいよ確立するという旬が巡って来ていると思わせて頂いております。

心が育つ尽くし

こうして私は度重なる年祭を経て、ご存命の教祖の数々のふしぎなご守護を頂戴し、“お尽くし”を通して心を育てて頂きました。

道一条を志してより一貫して私は“仕切り”に心を定め、命懸けで取り組んで参りましたが、教祖に真剣に願う中に聞いて下さらないことは一度もございませんでした。

年祭活動にかかわらず、教祖はいつも私たちの心の成人を待ち望んで下さっています。

動くことが目的ではなく、ひながたを胸に心のほこりと執着を払い、人格を磨いていく日々の努力と実践が何よりも肝心であると思わせて頂きます

ご存命でお導き下さる教祖に

「そうそう…」

と言って頂けるよう、心の成人を目指してしっかりと親の思いに添って動かせて頂きましょう。

仕切りについて

ご恩報じ=人だすけ+仕切り

世界たすけのぢば・かんろだいへーー12月18日と仕切って!

「仕切り」

とは、兵神大教会を通して世界たすけを推し進めて下さるぢば・かんろだいに運ばれる最も尊いお供えのご用であり、特に人間の執着のかかる二の切り金銭を以て運ばせて頂く極めて具体的なおたすけの実践であります。

この末代にわたってたすかる「仕切り」を感謝とご恩報じの心で運ばせて頂きましょう。

修養科について

修養科へいこう!ーー命をつなぐ生まれ替わりの3ヶ月

修養科とは、親神様がお鎮まりくださる親里で3カ月間、親神様の教えを学び、実践しながら、人間の本当の生き方を学ぶ所です。

修養科へは、満17歳以上であれば、老若男女の別なく学歴・歴・職業を問わず、だれでも入ることができます。

また、健康な人も、身上・事情に悩んでいる人も、互いにたすけ合って明るく陽気に修養に励み、信仰の喜びを味わいます。

そして、陽気ぐらしの世界を建設するようぼくとして生まれ替わり、新しい人生の門出を踏み出します。

※1月4日が受付(面接)となっています。

にをいがけ・おたすけの成果

別席者2名
令和6年11月24日(日)ようぼくその他
兵神 秋のおぢばがえり団参
(天浦ようぼく掘り起こし団参)
46名9名55名

月間喜びスケジュール

日程・日付行事時間
12月3日(火)◇   天浦 六座のおつとめ ◇7:00~ 17:00(予定)
  4日(水)天浦 霊祭10:00 執行
  5日(木)男鳴り物練習14:00神殿集合
  6日(金)婦人のつどい/女鳴り物練習10:00 神殿集合
 10日(火)天浦 月次祭 前日ひのきしん13:00天浦集合
 11日(水)天浦 月次祭10:00執行
 12日(木)名田 月次祭/<西宮布教>10:00執行/9:30神殿集合
 13日(金)<北区布教>9:30神殿集合
 14日(土)<兵庫布教>10:00神殿集合
 15日(日)琴緒 月次祭11:00執行
 16日(月)<松山布教>5:30兵庫発
 17日(火)<西区布教>/<中央区布教>9:30 神殿集合
 18日(水)八生兵庫 霊祭 / 女鳴り物練習
【仕切り〆】
10:00神殿集合
 19日(木)<西宮布教>9:30 神殿集合
 20日(金)<天浦分教会布教実習>10:30天浦神殿 集合
 22日(日)<垂水布教>9:30神殿集合
 23日(月)兵神 月次祭  10:00執行
 25日(水)【八生兵庫 別席団参】8:30兵庫発
 26日(木)御本部 月次祭 9:30執行

♢年末年始のスケジュール♢

日程・日付行事時間
23日~25日八生兵庫大掃除ひのきしん9:00 開始
  27日(金)天浦分教会 大掃除ひのきしん*立教187年 別席 最終日
  29日~31日八生兵庫 おせち作りひのきしん
 令和7年1月1日 (水)天浦 元旦祭八生兵庫 元旦祭7:00執行/11:00執行
 2日(木)<中央区布教>(初布教)9:30神殿集合
 3日(金)◇天浦 三座のおつとめ◇9:00~
 4日(土)天浦分教会 霊祭 / 修養科 受付10:00 執行/15:00詰所
 5日(日)お節会 初詣り/冬のこどもおぢばがえり9:00兵庫発
   6日(月)お節会 初詣り9:00兵庫発
 7日(月)お節会 初詣り9:00兵庫発
 14日(火)八生兵庫分教会 春季大祭10:00執行

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