心定めとは?
天理教は単に拝み祈祷の信心だけでなく、心の成人を目指す信仰であるため、「心定め」という考え方があります。
親神様は、神人和楽の「陽気ぐらし」を目標として、人間世界をご創造されました。
したがって、私たちは日々、親神様の思召しに添わせて頂くために「心を定めて」通らせて頂きます。
しかし私たちは、日常の平穏無事な暮らしの中で「心定め」を忘れてしまいがちです。
おさしづにも、
事情なければ心が定まらん
明治20年1月13日のおさしづ
と仰せられています。
身上・事情は「てびき」とお教え下さるように、身上・事情のてびきがあった時には、日々の心遣いを振り返り、親神様の思召しに添わせて頂くために心定めをします。
心定めの内容は人によって異なりますが、親神様の思召しに添わせて頂くという精神においては変わりありません。
身上は親神様からのかしもの・かりものであり、心一つは我がの理ですので、心を定める必要性があります。
おさしづではさらに、
をさめてから定まるやない、定めてからをさまる
明治24年11月3日のおさしづ
と仰せられ、身上・事情が治まったら「心を定める」というのではなく、親神様の思召しに添わせて頂くという心が定まったら、身上・事情にご守護が頂けるとお教え下されています。