石西計治 いそにしけいじ
庄屋敷柑(現、天理市三島町)の人。
弘化3年(1846)生まれ、明治44年(1911)1月7日66歳没。
妻セイは、明治23年10月1日44歳没。
父は新右衛門、母は辻忠作の娘。
子には楢造、久吉、富三郎(山口姓、郵便局を開き、後やめ、家具屋の木下家に譲る)など。
孫慶一、玄孫は稔啓。
計治は石上布留社の年預も勤めたが、明治14年1月の「田村勾田村ト三島村三ケ村字一ノ井分石新築定約証(写)図面共」(天理図書館蔵)には「三嶋村戸長」と記すように三島相の戸長も勤める。
明治16年8月15日の三島村の雨乞づとめの時には村総代と記される(『稿本天理教教祖伝」259頁)。
『奈良県山辺郡誌』中巻(207頁~)によれば、丹波市町会議員を明治31年5月から37年4月までの6年間と明治40年5月から勤めていることが知られる。