天理教人名辞典 飯田善六 いいだぜんろく

天理教人名辞典 飯田善六

東安堵村の人。

飯田岩治郎の父(養父)。

飯田家は、相当の農家で米商や綿商も営み、善六の父利兵衛は、村年寄もつとめていたが、晩年に没落。

善六は、弟の文吉と力を合わせて家運の挽回をはかり、仕事の合間には近隣の子供たちに読み書きを教えていた。

弟文吉に長男岩治郎が生まれ、養子とした。

文久3年(1863)12月、岩治郎の一命が危なくなり、庄屋敷村に親戚をもつ隣家の平井伊兵衛から参詣を勧められ、使いを走らせた。

教祖(おやさま)は、さっそく安堵まで足を運ばれ、1週間ほど滞在された。

その間に、岩治郎はおたすけ頂いた。

翌文久4年、教祖は再び善六宅に足を運ばれ、40日ほど滞在された。

近在の村からは助けをもとめるものが引っ切りなく続いた。

岩治郎の実母工史は、家の仕事に差し支えるのでお帰り頂くようにと申し上げたが、急に体がしびれ、善六がお詫び申し上げると、ほどなく治まったという。

この滞在中、並松村の医師古川文吾が、奈良の金剛院のものをつれて、教祖のおられる部屋に乱入したが、教′阻の言葉に退散している。