飯降まさゑ いぶりまさえ
明治5年(1872)4月19日、飯降伊蔵、さとの二女として生まれる。
教祖(おやさま)は、櫟本にいる伊蔵夫妻に、早く教祖の住む「おやしき」へ移り住むように諭されていた。
しかし、3人いる子供や、将来のことを心配して躊躇していると、明治14年、まさゑは眼病、弟の政甚は、口がきけなくなってしまった。
さとが、教祖に事の由を申し上げ、「子供が大きくなるまでお待ち下さい」と伺うと、教祖は
「子供があるので楽しみや。親ばっかりでは楽しみがない。早よう帰って来いや」
と仰せになった。
さとは、「きっと帰らせて頂きます」と誓って帰宅すると、まさゑも、政甚も、鮮やかにご守護をいただいた。
さとは、伊蔵に先立って、明治14年9月、まさゑ、政甚を連れて、おやしきの人となった(『稿本天理教教祖伝逸話篇』87話「人が好くから」)。
まさゑは、教祖のお側に仕え、昭和2年(1927)4月22日、56歳で出直した。