ありのままdiary R188.1.23

大教会は大祭

大教会の春季大祭。

ここまできたら、御本部の春季大祭も目の前に迫っていることを実感しますね。

春季大祭を思うと感慨深いものがある。

色々あって布教の家に行くことになり、イヤイヤ願書を取りに行ったのが1年前の大祭である。

あれから1年経つかと思えば、かなり前に進んでる気がするのは私自身でも分かる。

ホンマ、何が起こるか分かりませんね。

ほんであと1年経つと年祭が終わるという。

節目の時旬になるんだ。

そんなことを頭の片隅で考えながら、南東の方へ向かった。

金持ちが多いのか、大っきな豪邸が立ち並ぶ地域を戸別に回り、ことごとく一瞬て断って頂く。

歩行者にも声かけたが、案の定めちゃくちゃ気味悪がられる始末。

これだけキモがられたら開き直ります。

まぁ、一日中回るモチベーションを保つことは厳しく、途中コンビニに入って休憩をはさみながら歩いた。

そんな中にも一軒、金光教を信仰するおじいさんにおさづけを取り次がせていただけた。

金光教と言われて断られたかと思いきや、近くの天理教の人が回ってきたことがあると伝えられ、話が展開して息子嫁さんが天理教の教会から来たと教えて下さった。

そのおじいさんは足を引きずっている様子だったから、大丈夫かと問うと、

「会ったことあるか?なんで足が痛いと分かる?」

と聞かれた。

足を引いてるように見えたと答えたら、勘がいいなぁと褒められる。

息子嫁さんが天理教なら、おさづけをご存知かと聞いたが、知らないとのことだから説明して取り次がせていただいた。

ズボンの上からでも左膝あたりが水が溜まっているような感触が分かり、腫れてることを伝えたらまたしても驚かれた。

「ワシは直接目で見ないと分からないのに、ズボンの上から触って分かるのか。大したものだ」

とべた褒めされながら喜んで下さった。

全然普通だと思っていたが、気付かぬうちに色んな経験を積んでいたことが発揮されたのか?

という気付きができて嬉しい。

虚しい時間の方がはるかに多い一日だったが、喜ばしいことも見せていただけたから有難い。

働き

休憩を終えてから、Mさん宅へ行かせていただいた。

今日で3日目です。

いつものように招いてくれ、すぐに取り次ごうとしたら、Mさんが真剣な表情で話し始めた。

体調が良くなってきた代わりに、なぜおぢばを断ってきたのかという真相である。

まとめると、結論は考え込むことが要因であるものが大きいが、周囲の方々に対する不足がもたらしていると教えてくれた。

年齢が年齢だが、おぢばの行き帰りでも寂しさを感じていたことや、気に入らない人がいることが1番の問題点。

Yさんと合わないようで、私の指導不足だと責めてくるから慎重に対応した。

場面場面、アツくなって説明したり、例を挙げて力説したところもあったが、おかげでちょっとずつ納まっていく気配が見てとれた。

人を見て不足するのは勿体無いと伝えたが、言いながら自分を反省するようなこと。

だんだん表情が柔らかくなり、物理的に喜ばせることもでき、おかげで修復に向かうことができた。

今日でおさづけ3日目ということで、症状も和らぎ、胸の内に溜めてたものを吐き出してくれた。

定めたもの、そして3日目ということが御守護に繋がったと、嬉しい気持ちでいっぱいです。

目安では、2月頃をめがけておぢばがえりできることを願う。

有難い時間だったが、同時に緊張の日々を送らないといけないのか、、

精一杯頑張ります。

今日も夜布教に励めて勇めた。

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