ありのままdiary R187.5.23

今日は大教会

今日は23日。

最上級の兵神大教会の祭典日です。

朝を迎えて、今日は大教会の月次祭だと思って始められたのでよかった。

今日は3ということで、くにさづちのみこと様の南東方面に向かった。

出発する際に、仲間から一緒にお願いと言われたので同じ所に向かうことにした。

道中には色んな話をし、モチベーションについての話や日常の取り組みに対しての話をたくさんすることが出来た。

さまざまな話で気持ちを高め、良いスタートを切れたと思う。

にをいがけは、2人で回ったが、私が訪問する家は在宅率がとても低い。

仲間との違いが顕著に現れ、自分でも感じていたことだが、仲間も、普段からこんなに在宅率が低い中で歩き続けているのかと思ってくれたようで安心した。

こんなに対応が少ないと体力はもちろん、精神的にもキツイと言われ、共感されたことで少し救われた気分になった。

ただ、以前から在宅率が低い中にもめげずに歩けば何か意味があるだろうと自分で納得し、ある意味試練だと思っていたので、このまま味わい続けようと再確認することができました。

特筆するような出来事は何もなく、ただただ淡々と歩いた一日だったけれどもよかったです。

勇みは周り回って返ってくる

夕方、ある友人から突然電話がかかってきた。

「昨日の夜にゴミ拾いしてた?そして誰かに声かけられた人いる?」

ということである。

昨日ゴミ拾いしてたのも、声かけられたのも私だった。

ただいま、ある目的を持って、毎日決めた時間に仲間とゴミ拾いに励んでおります。

その中で、夜に仲間と真面目な話をしながらゴミ拾いをしていると、ある男性に声をかけていただいた。

「何してるんですか?なんかの活動ですか?」

と突然死角から声をかけられた。

以前に一度、朝につとめていた際に女性から声かけられたことはあるが、夜にも声かけられるのかと驚きながら、

「修行みたいなもので、天理教です」

と答えると、

「天理教さんですか!いつもお世話になってます。さすがですね、すごいです!」

と言っていただき、応援されながら立ち去っていった。

声はかけてくれても天理教と名乗ると距離を置かれるため、にをいがけにはならないと思いながらつとめているので、いつものことだとしか受け取っていなかった。

ただ、その方は社会福祉関係の方で、電話をくれた友人に

「天理教はすごいですね。なんでそんなことできるのか」

と質問していたそう。

偶然にも、友人が色んな方の保護を受け入れる活動をしており、その行政の担当者と私たちが出くわしたということだった。

友人が行政の方とのお話の中で、難しい方の保護を依頼されて快諾したことに驚き、加えて昨晩の私たちとの出会いも相まってさらに感動したとのことだった。

友人から、一つのにをいがけとなって、周り回って行政の方と友人に喜びと勇みを与えていたとお礼を伝えてくれたのです。

不思議な出来事だと感じたし、下心でつとめていない行いが、知らぬ所で誰かに力を届けているんだと実感し、続けて頑張っていこうと感じた次第です。

また、期間を仕切ってつとめているゴミ拾いだけど、期間を終えたらやめるのかどうなのか、考えなければいけないな、とも思うようになりました。