立教189年2月号 よろこび月報 八生兵庫分教会

ご挨拶

教祖百四十年祭執行、喜びと感動の涙が頬を伝う

日々はそれぞれの持ち場立場において、八生兵庫分教会の上に絶大なるお力添えを賜り、誠にありがとうございます。

去る1月26日、国内外から帰参した約12万人の教友が 参拝場はもとより神苑一帯を埋め尽くす中、待ちに待った 教祖百四十年祭が中山大亮様祭主のもと厳粛に勤められました。

私共八生兵庫としても、教祖にお喜び頂けるような心の 成人を目指してつとめさせて頂いた三年千日の年祭活動の集大成として、大型バス2台とマイクロバスや乗用車数台を連ね、総勢88名の方と共に教祖の御許に帰らせて頂きました。

大亮様は祭文において三年千日の全教の歩みを振り返り、一同を代表して御礼申し上げたうえで「私共は今日の意義深い日を迎え、教祖の道具衆たる自覚と喜びを心にし、この日を新たな門出として心を引き締めて、たすけ一条のさらなる前進をお誓い申し上げます」と奏上されました。

続いて、かぐらづとめ・陽気てをどりが粛々と進む中、年祭活動期間中の様々な出来事が走馬燈のように胸を去来し、有難さと勿体なさで喜びと感動の涙が頬を伝う中、全身全霊をこめて 奉唱させて頂きました。

おつとめが滞りなく勤め終えられた後、神殿講話に立たれた真柱様は冒頭、教祖伝第十章「扉開いて」を紐解き「教祖は元なる親神様の心に添いきる心を定めることが第一であると、陽気ぐらしへ進んでいくところの心の持ち方、法律に先立つ心定めをお諭し下された」と指摘され、これは「その時居合わせた人々に対するお諭しであるばかりでなく、現在の私達も心しなければならない信仰の要である」と明示されました。次いで、一同に対し、年祭活動を精一杯に勤め励んだことに労いの言葉をかけられ、最後に「陽気ぐらし世界への道のりはまだまだ遠い」として、「年祭活動が終わり普段の歩みになるが、3年前に戻ることなく、これからも勇んで歩み続けること」を切望されて 講話を締めくくられました。

その後、教祖殿に進まれた大亮様は祭文にて「私共は御年祭を成人の一里塚とし、今日より誓いも新たに、ひながた通り一手一つに結び、それぞれがおたすけの実践をもって歩ませて頂き、教祖にお喜び頂ける成人を積み重ねる所存でございます」と誓われました。

私達はこの真柱様、大亮様のお心にどうでもお応えするべく、次の塚に向かって成人の道を歩み続けてまいりましょう。

今月も何卒よろしくお願い申し上げます。

おやさま存命の理を信じて!

立教189年1月17日
順子奥様 婦人の集い教理勉強会のお話より

泥海古記を学ぶ

 私たちがこれまで“元の理勉強会”と称して、共々に学ばせて頂いてきた内容は、どちらかと言えば、天理教が最後(だめ)の教えと言われる所以(ゆえん)である“元の理”のご教理のつかみの部分に過ぎません。

例えば、方角に関することや生年月日などから、元の理の説き分けに則して学んでいくことは、確かに世間の占いのようなもので実生活に直結した興味深く親しみ易いものでありました。

そして私たちが毎朝拝読している「元の理」の文章は、先人の先生方が教祖のお言葉があるごとに筆記された泥海古記(こふき本)を基にして編纂(へんさん)されたものであります。

更にはっきりと申すならば、 「元の理=(イコール)かぐらづとめ」ということが出来ます。

私もまだ暗中模索の段階でありますが、教祖百四十年祭が明けてから、この    泥海古記の内容を深めさせて頂き、なぜ「かぐらづとめ」によって世界が治まるのか、なぜおつとめによって人がたすかるのか、共々にその根拠と壮大なる親心の核心を学んで参りましょう

かくらづとめの参拝

このよふをはじめかけたもをなぢ事 めづらし事をしてみせるでな   六 7

このよふをはじめてからにないつとめ またはじめかけたしかをさめる  六 8

皆さまもご存知の通り、かぐらづとめは親神様の人類創造のプロセスを今に再現して下さったものであります。

永い年限をかけて埃りだらけになった私たち人間の心を、かぐらづとめの理によって本来の親神様の理念である陽気暮らし、つまり相手を思いやり、真心を尽くし合う清らかなものに立て替えて頂くのがこのおつとめなのです。

ですからそのかぐらづとめでは、我が身我が家の病気が治ることや事情が治まることを願うのではなく、こんな素晴らしい地球、かけがえのない命をお創り頂き、こうして毎日結構に生かされ、健やかな身体、尊いかりものの環境と人間関係をお貸し下さっていることに心から感謝を捧げることが肝心です。

この偉大なるかぐらづとめの理を存分に頂戴し、そのような誠の心になったならば、敢えて願わなくとも自分の周りを見渡してみれば、病気や事情も自ずと治まって、その誠に相応しいご守護をご存命の 教祖よりお見せ頂くことができます。

教理と実践は車の両輪

何事においても、意味合いを理解せずにただ動くというのはとても危険なことです。

教理に基づいて、なぜ にをいがけに出るのか、なぜお尽くしをするのか、なぜ毎月の月次祭でおつとめ着に着かえておつとめ奉仕させて頂くのか 、教理を疎かにして実践によって一時のたすかりはあっても、決して継続致しません。

また反対に教理を勉強しても、ただ頭でっかちになり、ひのきしんもせず、にをいがけ・おたすけにも出ない、お供えもしなければ、親神様・教祖のふしぎをお見せ頂けないばかりか、精神を病んでしまうこともあります。

教理に基づいた実践、これは二つ一つで車の両輪ですから、前へ進むためには必ずこの教理と実践の両方が不可欠です

たすかるための理作り

教祖は全人類がたすかっていくための手段とその筋道を教えるために、五十年もの間ご苦労下さいました。

まず教祖は親神様の仰せのままに貧に落ち切られ「落ち切ったら水でも上がるようなものや」と身を以てそのことを体現し、成らん中をいそいそとお通り下さいました。

それは決して貧乏になることが目的ではなく、物や金や地位を価値としないたすけ一条の道をおつけ下されると共に、それはまた、真の世界だすけへの理作りでもありました

私たちもこの理づくりを忘れて 願うだけではご守護を頂くことができません。

月次祭の参拝の値打ち

当教会は今から16年前教会設立を願い出て、その年の3月26日にお許しを頂き名称の理を頂戴致しました。

そして祭典日を2日と定めさせて頂き、そのお許しを頂きました。

ご承知のように、2日の月次祭の日にのみ、親神様のお社のお扉が開かれます。

ですから2日はこの教会がおぢばに直結し、かぐらづとめの理と同じ親神様の  お働きを頂ける日なのです

これは誠に神様の世界ですので、腹を決めて2日と26日の参拝をするために、理を立て切って仕事や自分の都合を横において参拝されている方々はみな結構にご守護頂いておられます

誠一つが天の理

誠は天に通ずるもの 、誠一つが天の理

私たちは何かしら困ったことが出てきてお尻に火がついて、取ってつけたような信心ではなく、日頃から人の幸せを願い、月次祭・朝夕のおつとめを真剣につとめ、謙虚に鳴り物を習得し、お手振りを自分の癖が出ていないか確認しながら教えられた通りに手を正し、そのような誠の時間の積み重ねを継続したいものです

それぞれの次なるステージを目指して、日々理作りを忘れず、誠の心でつとめさせて頂きましょう。

よろこび分教会

立教189年1月17日
一郎会長様 朝席でのお話

天借とは?

天借が人借を作っている、つまり現実の借金が出来るのは、天に借金があるからです。

天の借財をほったらかして、いくら現実の借金返しだけしても、また人間関係のトラブルや病気や災難など別の形で天借が現象として迫ってきます。

毎日の暮らしの中に喜びがないと天借が重なって参ります

それは親神様が人間を創られた目的が陽気暮らしであり、可愛い子供を喜ばせてやりたいと、この世界の上に様々なご守護を下さっているにもかかわらず、何かにつけて愚痴や不足をこぼし、悲しみ嘆いていることは、親である神様に残念をおかけしていることになるのです。 

それが天借となります。

天借の返済法

では次にその天借をどうやって返すのか、答えはやはり“喜ぶこと”です。

親神様のご恩を感じて、喜ぶことなのです

すべての身上事情の解決策は“喜び”にあります。

私は常日頃から、「喜び探しの達人になろう!」と言っていますが、これが最も親神様の思召しに敵う心であります。

教祖百四十年祭の八生兵庫のスローガンでは「喜ぶ・楽しむ・尊重する」でした。

日々どんな中も喜びを探し、何事も楽しんで、人さまを立てて通る、これこそが親が一番望まれる姿であると思います。

では 如何にして喜ぶのか、これは「苦労」が喜びの種となるのです。

この苦労とは、「理の苦労」つまり、にをいがけ・おたすけであり、親に尽くしていく苦労に他なりません

人間のトリセツ

実は人間の身体も、親神様がはじめから喜んで暮らすように仕組んで下さっています。

ですから、先のことを案じてクヨクヨしている人は、大抵胃腸の病気を患っています。

またすぐ腹を立てる人は、何かと怪我をしたり大病を患うことが多いようです

つまり喜びが無ければ、身体が故障するということです。

皆さん、電化製品を買ったときに必ず取扱説明書がついていますね。

そこにコーションマークのところに、「このように使ったら壊れます・・・」と注意書きがあると思います。

当然のことながらそれを守らないと、機械は故障します。

同じように人間のトリセツを読まずに心と身体を使っていると、壊れてしまいます。

その人間のトリセツなるものが、「別席」のお話でありそのトリセツに添って、身に行いながら学ぶ場が「修養科」なのです

ですから、別席を運び、修養科に行くことで 鮮やかにご守護を頂くことが出来るのです。

八生兵庫=よろこび

八生兵庫布教所の時代から毎月発行している当教会の月報のタイトルは「よろこび」です。

実はかつて教会名称のお許しを頂く以前に、私は実際に「よろこび分教会」にしようと考えておりました。

天浦分教会の会長様にご相談したところ、「“八生兵庫”のままで良い」とのお声を頂き、現在の教会名称がございます。

ある意味では、「八生兵庫」と書いて「よろこび」と読んでも良いくらいに  現会長である私はよろこびに徹して通らせて頂いております。

年祭活動は終わりますが、私たちよふぼくのやるべきことは変わりません。

日々喜びの心でつとめさせて頂きましょう!

お知らせ

天浦三座のおつとめ

教祖百四十年祭の年祭活動でお打ち出し下さった三座のおつとめを毎月4日と日を定め、3月・9月以外9時より三座のおつとめを開始し、その後、霊祭の祭儀をすることとなりました。ぜひご参加ください。

天浦成人理立て

4 月10 日までに上級・天浦分教会に運ばせて頂く尽くし運びの御用です。

この理立を通して、親孝行と 人たすけを実践実行できる有難い旬であり、親の理によって心を磨き、成人 させて頂ける尊い御用です。

月間よろこびスケジュール

日   程                     行    事時   間
2月4日(水)天浦分教会 三座のおつとめ・霊祭9:00 開始
7日(土)婦人の集い/女鳴物勉強会10:00 神殿集合/12:30
8日(日)<中央区布教>9:30神殿集合
9日(月)<西区布教>11:00八生瀧川布出発
10日(火)天浦月次祭前日ひのきしん13:00天浦集合
11日(水) 天浦分教会 月次祭 10:000執行
12日(木) 名田分教会 月次祭<西宮布教>10:00執行/9:30神殿集合
14日(土)<兵庫布教>10:00 神殿集合
15日(日)琴緒分教会 月次祭11:00 執行
16日(月)  <松山布教>      5:30兵庫発
18日(水)  八生兵庫分教会 霊祭/ 女鳴物勉強会10:00執行/12:45
20日(金)<天浦分教会布教実習> 10:30天浦神殿 集合
22日(日)【天浦別席団参】<垂水布教>9:30神殿集合
23日(月)兵神大教会 月次祭10:00執行
26日(木)御本部月次祭  よう 6:30兵庫発
27日(金)<北区布教>9:30神殿集合
3月1日(日)八生兵庫分教会 月次祭 前日ひのきしん
2日(月)八生兵庫分教会 月次祭10:00執行

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