ご挨拶

天浦成人理立 兵神おぢばがえり団参
日々それぞれの持ち場立場において、八生兵庫分教会の上に 絶大なるお力添えを賜り、誠にありがとうございます。
さて、教祖年祭活動も大詰めを迎え、年祭当日までいよいよ4か月となりました。
これまでを振り返った時、諭達第4号と大教会の「教祖のひながたを手本に明るい心で通りきろう」という活動方針と「身上おたすけ・人たすけ」の実践目標、そして三座のおつとめ・ようぼくおぢばがえりという天浦の方針を 掲げて頂いたおかげにより、どのように行動すべきか明確になり、私共八生兵庫分教会においても、日々喜びと感謝を表現する努力を重ねつつ、身上おたすけ、人たすけに邁進させて頂き、数々の御守護をお見せ頂きました。
また数々の節もお見せ頂きましたが、親神様・教祖の理に守られ、今日まで大難を小難に、小難を無難にお連れ通り頂き、 節から芽を出す御守護を頂いております。
今月は、大恩ある上級天浦分教会の上に2回目の理立を運ばせて頂く月柄でございます。これまでおたすけ頂いたご恩にお報いすべく、天浦成人理立を懸命につとめさせて頂きましょう。
更に、秋季大祭に合わせた兵神おぢばがえり団参に向かっても、現在教会につながっていないようぼくにも声をかけ、一人でも多く参拝させて頂けるよう努めさせて頂きます。
今月も何卒よろしくお願い致します。
揺るぎない信仰信念
立教188年5月25日よふぼくおぢばがえり団参バス
西村一郎 会長様 車中のお話より
世界を治めるおつとめ
現在、人類の未来をも危うくしかねない紛争、パンデミック、天災地変が世界中の至る所で起こっています。
これらは全て、奢り高ぶる人間の心から引き起こされていることであり、つまり親神様・教祖のざんねん・りっぷくの現れであるとお聞かせ頂いております
教典にも「真の平和世界は、親神の理によってのみ築かれる。」とあります。
つまり自然災害や疫病、そしてテロや戦争を治めるには、おつとめしかありません。
そのおつとめを勤めるのは、一体誰でしょうか?…
そうです、我々ようぼくです。
国々所々で勤められる月次祭に寄り集い、ぢばの理・かぐらづとめの理を受けて、真剣におつとめを勤めることでこの世が治まっていくのです。
のみならず、我々が生きていくために必要不可欠な農作物、あるいは魚介類などが適切に収穫できると いうことも、このおつとめにかかっています
ぢばはたすかるところ
「ぢばを慕い親神様の思召に添いきる中に、
必ず成程という日をお見せ頂ける。」
と、ご諭達にあります。
親神様の思召とは、言うまでもなく世界いちれつたすけたい
我々ようぼくはその思召を我が心として、日夜にをいがけ・おたすけをさせて頂かなければなりません。
おぢばはたすかる場所です。
おぢばへと人様を誘わせて頂くことが、大きなたすけとなります。
ひながたを辿る
「価を以て実を買うのやで、実と言えば知ろまい、真実というは火、水、風」
(おさしづM20.1.13)
火、水、風とは、命のご守護のことを指します。
人生が健康で幸せに継続発展していくには“価”が要るということです。
ここで言う“価”は、決してお金のことだけを言っているのではありません。
ズバリ“価”とは、教祖のひながたという意味です。
つまり、教祖ひながたを辿るならば、より良き結構な運命をご守護頂けるということなのです。
そして、そのひながたを辿るとは、
①常に喜ぶ、
②親の声を素直に聞く、
③人をたすける─
これを日々倦まず弛まず実践することがひながたを辿ることであり、実を与えて頂ける“価”として教祖がお受け取り下さいます。
恩師・木下寿美子先生にお導き頂く中に私自身がこれまでの歩み方を振り返って、このことを深く実感しておる次第です。
どうか、一人一人の役目はそれぞれに違うと思いますが、ようぼくとしての使命感を一層高めて教祖百四十年祭に向かって歩ませて頂きましょう。
おやさま存命の理を信じて!
立教188年9月4日 天浦秋季霊祭 祭典後のお話より
4日の霊祭という日
ただ今天浦分教会の霊大祭に参拝させて頂きましたが、私にとって“霊様”と言えば、やはり“木下寿美子先生”をおいて他にございません。
思い起こせば、私たち夫婦が、生後10ヶ月の子と 2歳の子を連れて、内張業を営んでいた西村の家から、寿美子先生の親の一声によって、天浦分教会に住み込ませて頂いたのが今から35年前の10 月4日天浦の霊祭の日でした。
教会へいらっしゃい
かつて私は東京で美容の仕事に打ち込んでおりましたが、ちょうど教祖百年祭に向かう三年千日の頃、
様々な我が家の深い因縁事情を見るにつけ、
「自分の人間性、自分の心を変える以外に運命は変わらない─この因縁を切り替えるためには、寿美子先生がおられる天理教の教会に住み込ませて頂くより他道はない」
と思い定め、先生にご連絡させて頂きました。
すると先生は、親心いっぱいに「教会へいらっしゃい…」と力強いお声を下さり、多くのしがらみが ある中を、無事に教会へ来させて頂くことができました。
マンツーマンの練り合い
念願だった教会住込みをさせて頂いていた或る日のこと、先生から突然「順子ちゃん、明日からにをいがけに歩きなさい。」と言われ、右も左もわからない私は戸惑いながらも、早速次の日から一人で歩かせ頂き、手探り状態で見知らぬ家々のピンポンを押す毎日が始まりました。
そして先生は毎晩私のような者に、「順子ちゃん、今日はどうやった?」とマンツーマンの練り合いをして下さり、夜遅くまで様々なお話をお聞かせ下さいました。
今思えばかけがえのない先生からのお話も、当時まだ二十代の私には猫に小判のような申し訳ない状態ではありましたが、先生という大きな親の理を頂戴して、ご存命の教祖にお連れ通り頂き、 毎日挫けることなく歩かせて頂き、教祖の理によって別席者や修養科生が誕生してゆく布教の面白さを仕込んで頂きました。
無から有を生み出す
その間、数えきれない程多くのことを先生から教わりましたが、その中でも最たるものは“無から有を生み出す”ということでした。
世間並みの収入源を断って道一条に踏み出して間もない頃、先生から「順子ちゃん、何にも心配することあらへんよ、要るものが要るときにちゃんと能わるからね。」と言って頂きました。
当時の私はてっきり、先生が毎月私にお小遣いを下さるものだとばかり思っておりましたが、現実は決してそんな生易しいことではありませんでした。
しかし、先生のご指導のもと通らせて頂いた道一条40年を振り返って、あの日先生が仰られた通り、教祖にお縋りして歩く中に、鮮やかな存命の理のお働きで 「これに困った、あれに不自由した…」ということは、何一つありませんでした。
ふしんの声
その後結婚して本格的に夫婦で道一条を志し、教会に住み込んでおよそ十年経った頃、天浦の前会長様より神殿ふしんのお声を頂きました。
結局そこから教会が出来るまで15年を要しましたが、その間にたくさんの存命の理の不思議をお見せ頂きました。
最初にふしんの声を頂いた頃には、教会住込みの方は大勢おりましたが、お尽くしが出来る信者さんなど全くと言って良いほどいませんでした。
しかし不思議なことにそのお声を頂いてから間もなく、信者さんではない心ある方から、「これふしんにお使い下さい・・・」と10万円送られて来たんです。
それから暫らくして、おたすけをさせて頂いていた息子さんの母親から全く信仰はしておりませんでしたが、息子が今後世話になるかもしれないと、神殿 ふしんに100万円を託けて下さいました。
更に不思議なことが起こりました。
バスの中でお声を かけた方が初めて月次祭の参拝に来て下さいました。
まだ当時プレハブの布教所でしたが、直会の席で神殿ふしんに多額の費用がかかることをお話すると、その方が突然「そうですか、そんなに困ってるなら、小さい方ではなく大きい方の私の家を売りますね。」と言うんです。
まさか私も全く本気にはしていませんでしたが、翌朝5時に天浦分教会まで権利書と実印を持って来て下さり、「さあ、公正証書を作りましょう」ということで、実際に家を売却し、丸ごと尽くして下さいました。
まさに 教祖のお働きを目の当たりにした瞬間でした。
尽くしきる背中
子連れの布教道中ならおしめやミルクがいる、そんな小さなものから、大勢の方がたすかる神殿まで、ただ私は教祖のお伴をして歩く中に、必要な費用も人財も全て与えて頂きました。
このことを教えて下さった木下寿美子先生のお背中は、ただ親に喜んで頂こう、親に満足して頂こう、徹底して理の親に真剣に尽くしきるそんなお背中でした。
この教祖百四十年祭という旬の上昇気流に乗って、親の声を素直に受けて、動かせて頂きましょう。
にをいがけ・おたすけの成果
別 席 者 | 4名 |
よ う ぼ く | 2名 |
修 養 科 生 | 1名 |
修養科修了生 | 1名 |