梶本ひさ かじもとひさ
文久3年(1863)9月18日、大和国添上郡轢本村(現、天理市轢本町)で父梶本惣治郎、母旦互の二女として出生。
明治13年頃、17歳の時からおやしきに始終引き寄せられた。
当時は伯父の中山秀司が身上を患っていたこともあって、その看病かたがた家事の手伝いをしていた。
実母旦互に早く別れたため、教祖(おやさま)が祖母に当たるところから、明治14年4月秀司の出直し後、引き続き、主として教祖の附き添いとしてそば近くに勤め、本教草創時代のあらゆる苦難を教祖とともにした。
明治19年旧正月15日より12日間教祖最後のご苦労を棟本警察分署でともにすごした。
明治20年4月8日、山澤為造と結婚、男女7人の子供を成人させた。
明治24年9月10日、「水のさづけ」「てをどりのさづけ」を同時にいただいた。
明治43年1月29日、天理教婦人会創設に当たっては理事を拝命、晩年は教祖殿の奉仕を唯一の仕事とし、盆も正月も休むことなく、存命の教祖の側ですごすのが何よりのつとめであり、楽しみであった。
昭和7年(1932)2月10日出直した。70歳。