残念(ざんねん)とは?
原典・おふでさきでは、
- さんねん
- さねん
- ざんねん
という言葉で度々出てきます。
この残念(ざんねん)という言葉は特に、「神のざんねん」という意味で使われています。
親神様は、人間がたすかる道を親心をもってお教え下さいますが、人間はなかなか親神様のお心を理解しようとせず、思召しに反する道を自ら歩んでいく姿にもどかしく思われることがあります。
その気持ちが「ざんねん」、あるいは「りつぷく」という言葉として現れています。
おふでさきでは、十七号に近づくに従って、「ざんねん」という言葉が多く用いられています。
これは、つとめ一条のせきこみに対するもどかしさです。
心ない反対や世間からのとめ立てが絶えず、教祖にご苦労がふりかかりました。
それを案じる教祖の周囲の人々はためらい、時としてまどいます。
そんな姿を見て、親神様はもどかしく思い、「ざんねん」と表現されます。
しかし、おふでさきには、
こらほどにさねんつもりてあるけれど 心しだいにみなたすけるで
おふでさき第15号16・17
いかほどにさねんつもりてあるとても ふんばりきりてはたらきをする
と温かい親心を述べられており、常に子どもである人間の心の成人に心を配られているのです。