稿本天理教教祖伝より
稿本天理教教祖伝128ページに
”これさいかたしかさだめてをいたなら
とんな事でもあふなきハない ”
(おふでさき第9号20)とて、世界治めに大切な、かんろだいの据わるべきぢばを、 定めて置く事が肝腎である。これさえ定めて置けば、どんな事が起って来ても一寸も心配はない、と教えられた。
稿本天理教教祖伝第6章「ぢば定め」
とあります。
第六章 ぢば定め 天理教教祖伝ぢばとは
そもそも「ぢば」とは、人間が創造された時、いざなぎのみこと・いざなみのみことの2つの神様が、「なむなむ」とお宿し込みなされた時の「みのうちよりのほんまんなか」といわれる地点であり、 親神様(天理王命様)のお鎮まり下さる地点であります。
この「ぢば」は、明治8年6月29日に、教祖が「ぢば定め」によって明らかにされた地点で、当時の住所は、“大和の国山辺郡庄屋敷村中山五番屋敷”といわれた屋敷の一地点です。
現在では、奈良県天理市三島町一番地の天理教教会本部境内地内になります。
天理教単語帳「ぢば」とは?ぢばを定める重要性
しかし、なぜこの「ぢば」を定めることが、大切だったのでしょうか?
ぢばを定める=親神様の時空的限定
「ぢば」を定めることによって、親神様の時空的限定がなされたということであります。
神様は本来、時空の中で捉えられるものではありません。
もし神様が時間や空間に制約される存在なら、それは絶対的自由を有しないことになるわけで、神様が人間や他の被創造物と同じ存在になってしまいます。
神様が時空の中でしか存在できなければ、、、
しかし、また一方では、神様が時空の中におられないとなれば、時空の中にしか存在できない人間には、 神様の存在を実感できないことになります。
例えば、
- “神様は空想の世界の産物 ”
- “人間が観念の遊戯の結果創り出したもの ”
などと批判されても、確かな反論ができなくなってしまいます。
親神様のお姿について
教祖は、親神様(天理王命様)のお姿について、
「在るといへばある、ないといへばない。ねがふこゝろの誠から、見えるりやくが神の姿 やで」
『正文遺韻』266ページ
と教えられていますが、「ぢば」 に神名をつけられたことによって、時空のなかに存在する親神様を人間が実感できるようにして下さったのであります。
ぢばは実体ではなく地点
さらに申せば、「ぢば」は場所であって実体はありません。
中山家の屋敷内の一地点を「ぢば」と定められたのであって、屋敷内の土や石などの物体に神名をつけられたのではありません。
ですので、大きな岩や太い木などをご神体や信仰の対象にされたのではないのです。
また、「ぢば」には「かんろだい」 が据えられますが、それも「ぢば」がどこにあるのかを示す目印であって、かんろだい自体がご神体や拝む対象ではないのです。
例えば、、、
極論になりますが、ご本部の神殿の建物は古くなったり狭くなったりすれば、解体や移動することもあり得ます。
その時々によって、「かんろだい」の据える下の地面の高低を変えたりされることがあるやも知れません。
しかし、そこの土や物質に神名がつけられているのではないので、かんろだいの下の土が足されて高くなっても、削られて低くなっても「ぢば」という事実が変わるわけではないのです。
その昔はかんろだいではなかった
その証拠に、その昔、ぢばにはかんろだいの代わりに小石が積んであって、人々はその小石を頂き、自ら持参した小石に替えて置いていったと伝えられます。
それは「ぢば」の理を小石に託して頂く行為であって、小石自体に霊力が宿っているということではないのです。
かんろだい据えかえ
また、かんろだいも同様で、古くなって朽ちてきたり汚れたりすれば、新しいものと取り替えられます。
ですので、今まで「ぢば」に据わっていたものだから神様だ、などと思って拝むことは間違いなのです。
ぢば定めの意義
教祖が、
「わしや人間は連れて行くことはできても、中山五番屋敷はどうすることもできまいやろうがな」
教祖のお言葉
と仰せられたと伝えられるごとくに、誰が来てもどんな事が起きても、不変不滅である場所なのです。
物質でもなければ、単なる観念でもない、
礼拝の目標として、「ぢば」は定められ、人間存在の拠り所を確立されたのが、「ぢば定め」の意義なのです。
元の理の事実認識
さて、「元の理」のお話によれば、親神様によって人間が創造されたのは、現在のように海山天地が明らかになる以前の泥海の世界でのことだったとあります。
ですから、そのお話だけだと、ありきたりの神話のようになってしまい、親神様による人間創造が事実として認識できなくなりかねません。
しかるに、「ぢば定め」によって、創造の事実があった現実の場が示され、更にその「ぢば」を定めるに当たっては、教祖をはじめ、人間創造の時の道具衆の魂のいんねんある人たちの実在をも明らかにされたのです。
元の理 【全文+概要】 第三章 元の理 天理教教典ぢば定めの当時のご様子
その「ちば定め」の時の様子は、稿本天理教教祖伝の128ページに詳らかに述べられています。
第六章 ぢば定め 天理教教祖伝数人の人たちに目隠しをして中山家の庭を歩かせると、その人たちの足が皆「ぢば」 に吸い寄せられて止まった。
中には、「立ち止まらなかった人がありましたが、その人が娘を背負って歩いたら同じように『ぢば』で足が止まった。」というような不思議な現象を見せられて、現実にこの「ぢば」で人間が創造されたということを、私たちに納得せしめられたのであります。
つまり、私たちは、「ぢば定め」によって人間存在の根拠、創造の事実につなげることができるのです。
ぢばは極楽である
「みかぐらうた」に、
こゝはこのよのごくらくや わしもはやへまゐりたい (4下り目九ッ)
みかぐらうた
こゝはこのよのもとのぢば めづらしところがあらはれた 5下り目九ッ)
とありますが、極楽というような、元々は彼岸にあると考えられていた場所、現世では存在しえないと思われていた環境ですが、「ぢば」では現実に存在し得るのであります。
さづけの理が出される所
そういう「ぢば」の存在があるゆえに、中山みき様がそこで「月日の社」となられ、たすけ一条の道を始められたのです。
そして、その 人間創造の意志が発現した「ぢば」から「さづけの理」が出されるようになります。
おさづけの理とは?人類を更生する場所
また、「ぢば」を取り囲んでおつとめをつとめることによって、人類の更生がなされることになったのであります。
つまり、「ぢば」は天理教信者の信仰の目標としてだけが尊いのではなく、全人類にとって大切ないのちの根源、存在の支点なのです。
まとめ
- 「ぢば」とは、人間がお宿し込みの地点である
- 「ぢば」を定めることによって、親神様の時空的限定がなされた
- 「ぢば」 に神名をつけることで親神様の存在が実感できるようになる
- 「ぢば」はこの世の極楽
- 「ぢば」は屋敷内の土や石などの物体ではぬく地点である
- 「ぢば定め」は人間存在の根人間創造の意志が発現した「ぢば」から「さづけの理」が出される拠、創造の事実に繋がっている
- 「ぢば」は天理教信者の信仰の目標としてだけが尊いのではなく、全人類にとって大切ないのちの根源、存在の支点である