教祖のひながたの意義
教祖100年祭の意義について諭達辰第3号にこのように示されております。
教祖の100年祭の意義は、立教の元一日をたずね、ひながたをたどり、さらに、子供の成人を急き込んで御身をかくされた元一日にかえり、親神様が人間世界を創造り給うた元初まりの思召である陽気ぐらしを実践することにある。
諭達第三号
この諭達の中にもありますように、「ひながたをたどる」という言葉があります。
教祖のひながたというのは、三原典の「おふでさき」「みかぐらうた」「おさしづ」に並ぶくらいの意義があるということをお聞かせ下されているのです。
ですので、教祖伝を勉強させて頂くというのは、原典を勉強することでもあるのです。
教祖のひながたは三原典に並ぶくらいの意義がある。
教祖伝はたくさんある⁉
実は、教祖伝というものは、「稿本天理教教祖伝」の他にも200ほどの教祖伝の書き物があるのです。
中でも、「稿本天理教教祖伝」 は、教祖十年祭の頃から約60年にわたって、教祖の御伝記を編纂した努力の結晶であります。
二代真柱様は、この「稿本教祖伝」を編纂するにあたって、200ほどある教祖伝を「権威本」と「野史本」の2つに分けられました。
ちなみに「権威本」には、さらにAとBに分けられております。
権威本A…初代真柱様や先人の先生方の記憶をたどって編纂された本
権威本B…学者・作家などに委託して書かれた本
野史本…様々な人達がおやさまを材料として書いた小説調の本
「教祖のひながた」の範囲とは
一概に「教祖のひながた」と言っても、いつからいつまでが「教祖のひながた」なのでしょうか?
この疑問は、第二次世界大戦終戦後、信仰の自由によって教理研鑽がなされたときにもさまざまな意見がありました。
しかし、二代真柱様はハッキリと
天保9年から教祖のひながたは始まる、
それ以前は「たすけ一条のひながた」とは言えない。
と第16回教義講習会で断定されているのです。
ですので、「教祖のひながた」とは、教祖が月日のやしろになられてから現し身を隠されるまでの50年間を「ひながた」と呼ぶのです。
こちらの記事でも「教祖のひながた」の範囲に言及しております。
☟是非ご覧ください☟
ひながたの「宮池のふし」は?
「教祖のひながた」が天保9年以降であることはハッキリしました。
しかし、ここでも、さらに意見が出てくるのが「宮池のふし」ではないでしょうか?
「或る時は宮池に、或る時は井戸に、身を投げようとされた事も幾度か。しかし、いよいよとなると、足はしゃくばって、一歩も前に進まず、「短気を出すやない/\。」と、親神の御声、内に聞こえて、どうしても果せなかった。」
『教祖伝』三十一頁
これは、教祖の中で、人間の心と神様の心の間に立って、板挟みの御苦労をなされたふうに受け取ってしまう訳です。
しかし、二代真柱様は
それは人間思案でそう感じるだけであって、
教祖は月日のお心であった。
と仰ったそうです。
二代真柱様は、なぜこのような根拠を持っておられるかと言うと、原典「おふでさき」の中で、教祖御自らのお立場をハッキリと解明されているからです。
いまなるの月日のをもう事なるわ くちわにんけん心月日や (第12号67)
しかときけくちハ月日がみなかりて 心ハ月日みなかしている (第12号68)
おふでさき (第12号67・68)
このことを考えたとき、教祖の御態度というのは、天保9年10月26日からまさに「月日親神」であったということです。
とどのつまり、先ほどの人間思案では、原典の「おふでさき」を無視した思案とも言えるわけです。
☟おふでさきの文字起こしも号ごとにしております!
ぜひご活用ください!☟
教祖伝は理を通して読む
このように、我々人間の常識や世間の判断や基準、感情的な人間心ではなく、いったん、教祖は月日の心であるという立場に立って見つめれば、感動の涙よりももっと深い親心に立って物を見つめていけるのです。
この見方が変わった時に初めて、本当の教祖の御姿が心に映ってくるのではないでしょうか?
そして、私達が「稿本天理教教祖伝」を拝読するにあたって、注意しなければならないのが、まず「教祖のひながた」は50年であるということ。
また、感情を通してではなく、理を通して拝読するという点に、特に注意すべきなのです。
- 「教祖のひながた」は50年である
- 感情を通すのではなく、理を通すことが必要
教祖伝は伝記ではない
理を通して読むと、自ずと分かってくるのが、教祖伝は伝記ではないでのです。
「天理教教祖伝」の目次を見てもらうと分かるように、第1章「月日のやしろ」なのであります。
そして、
「月日のやしろとなられるような教祖とは一体どのような生い立ちをされたのか?」
っと振り返ってみるとき、第2章の「生い立ち」になるわけであります。
もし、これが伝記であれば、第2章である「生い立ち」から説明されているはずです。
また、この「天理教教祖伝」では、10章にわたる道すがらを書されていますが、教祖の生い立ちというのは、全部第2章だけにまとめられております。
このことからも、教祖伝は伝記ではないということが明らかになるはずです。
教祖伝を読むことは”たどる”こと
二代真柱様は、教祖伝を読む意味をこのようにお教えくだされております。
この教祖伝はともかく”たどる”ことを中心に読んでもらいたい
ただいっぺん読んで、教祖の歴史上の出来事を記憶にとどめていく意味合いではなく、いかにして辿っていくか。ひながたをたどるという意味でこのひながたを見つめてもらいたい、したがって、この教祖伝を学ぶという事は「ひながたを辿る」ということなんだ!
教祖伝を拝読するときに大切なことは、これからを生きる私たちが「教祖のひながた」を
どのように辿るか?どのように私ごととして受け止めていくか?
このことが教祖伝を学ばせていただく根本の態度なのです。
最後まで記事を読んで下さりありがとうございました。
教祖伝も文字起こししておりますので、ぜひご活用ください!