たすけ一条とは?
どの宗教においても、人々の救済は根本問題であると思います。
元なる神様の一れつかわいい子供をたすけるという事に関しては、口を極めて言い尽くされております。
ちなみに天理教の原典である「みかぐらうた」にも、「たすけ」という言葉が一番多く使われているのです。
親神様は、まず人間を寝ても覚めてもたすけ一条の心で見守って下されております。
それと同様に、人間同士がたすけあって暮らす「陽気くらし」も望まれているのです。
この道は、我が身・我が家・我が子だけのたすかりを願ってたすかるのではなく、他人様にたすかってもらいたいという心になった時に、初めて自らがたすかる道なのです。
したがって、この天理教ではたすけ一条の心が肝心なのであります。
しかし、人をたすけると言っても、たすけの主はあくまでも神様であって、自分がたすけの主ではありません。
人をたすけさせて頂く根本はあくまでも神様であり、神様の思召しであります。
私たち人間は、神様を信じ、神様の思召しを取り次がせて頂くことであり、その根本的なあり方が、つとめ一条とさづけによるたすけ一条の道なのであります。