そふぢ(掃除 )とは?
天理教ではよく、「そふぢ(掃除)」という言葉を使います。
教祖は誰にでも、この教理を分かりやすく説くために、「掃除」に例えてお教え下さっているのです。
原典おふでさきに
これをみよせかいもうちもへたてない
むねのうちよりそふぢするぞや 四 108
人間には自由に使える「心」をお与え下さっております。
親神様の思召しである本来の自由な心遣いは、日々様々な雑念にとらわれ、人間は知らず知らずに「ほこり」を積んでしまっています。
その「ほこり」を払うという意味で、親神様は「そふぢ(掃除)」するようお教え下さいます。
人間が自らを省みて心の掃除ができれば良いですが、難しいものなので、親神様が旬をみて、「身上・事情」のしるしを見せられます。
このしるしを見せていただけるので、人は掃除をする心定めができるのです。
親神様が人間の心を掃除と仰せられるのは、あくまでも心の立替による「陽気くらし」を望まれる上からで、わざと苦しめよう、困らせようとする掃除ではないのです。
原典おさしづに
いつもそうぢや、あちらもこちらもそうぢや、すみ/\までもそうぢや、どう云ふ処心のそうぢや
(明治21・3・29)
と仰せられているように、天理教は心の掃除をする教えであって、単なるご利益信心ではないのであります。