田川寅吉 たがわとらきち
明治3年(1870)10月9日、田川徳右衛門、いちの長男として、兵庫県朝来郡梁瀬相ノ内野間宇田ノロに生まれる。
明治19年春、父が亡くなり、憂鬱と不安の内に過ごす頃、衣川弥兵衛の伝える天理教の教えにはじめて接する。
その教理に深い感銘を受け、一夜とあけずに、弥兵衛のもとに話を聞きに通った。
同年5月5日、天地組七番講(のちに九番となる)を結成。推されて講元世話人に就任する。
同年9月3日、「おぢば」に参拝。
御休息所で教祖(おやさま)から「よう、はるばる帰って下された」との言葉を頂く。
寅吉はこの感激を生涯忘れず「たすけ一条」の道に励んだ。
明治27年、生野支教会長に就任。
教内を揺るがした安堵事件、茨木事件においては、北大教会部内の整理と面目一新に努める。
昭和7年(1932)、本部直属生野分教会長を辞任。
昭和14年、本部員に登用。
昭和19年7月31日、生野詰所にて出直した(73歳)。