天理教の教えは、だめの教えと言われます。
「だめ」とは「だめ押し」の「だめ」で、すなわち神様からの最後の教えという意味です。
親と聞くと、封建思想としての親子の理念が想像されますが、天理教における「親の理」はそのような意味ではありません。
封建的な意味における親の思想は、家長としての絶対的権威を持ち、そこには子の人格が軽視されがちです。
しかし、天理教における親の理は、親が一方的に子どもに対して権威をふりまくというのではく、むしろ、親が子に対して限りない親心を示すという点で大きな特徴があります。
天理教の原典のいたるところに、こうした親神様の親心を伺い知ることができます。
原点・おさしづに
子がまんぞくして「親」といふ、どんな事もならん処、そだてるが親のやく、親がはらをたててはどうもならん
明治31年11月13日のおさしづ
というお言葉があります。
この親神様の「親」としての理を頂いて、子を育てていくことが大切です。