中山善兵衛 なかやまぜんべえ
天明8年(1788)、大和国山辺郡庄屋敷村、中山善右衛門、きぬの長男として生まれる。
文化7年(1810)9月15日(陽暦10月13日)、中山みき(教祖)と結婚。
1男5女をもうける。
天保9年(1838)10月26日、中山家の戸主として、またある意味では、人間の代表として、中山みきが「神のやしろ」となることを承諾した。
このとき善兵衛は、49歳の働き盛りであった。
それ以来、「神のやしろ」となった妻である教祖(おやさま)の言動に、人間としての苦悩を味わった。
そして、神の命ずるまま貧に落ちていった、
そのどん底の時期でもある、嘉永6年(1853)2月22日(陽暦3月31日)出直した(享年66歳)。