西浦弥平 にしうらやへい
弘化元年(1844)大和国山辺郡園原村(現、天理市園原町)の農家に生まれる。
明治7年(1874)園原村の戸長をつとめていた時、長男楢蔵が医者も見放すような重いジフテリアにかかったところを仲田儀三郎のおたすけによりたすけられる。
その後、教祖(おやさま)のもとにお礼に上がり、一家をあげて信仰するようになった。
ある夜更け、お参りから帰って休もうとしていると物音がするので起きて出てみると、泥棒が風呂敷包をかついで逃げようとしているところに出くわした。
驚いた泥棒は風呂敷包をそこに置いたまま走り去った。
翌朝、さっそく教祖のもとへお礼に行き、昨夜のことを話し、お陰様でなにも取られなかった旨を報告すると、
「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか」
とのお言葉が返ってきた。
この一言に深い感銘を受けた禰平はその後、熱心に信仰するようになった。
明治9年、隣家の上田ナライトの身上のさわりを機に同家に信仰を伝える。
教祖が現身を隠された後、本席となった飯降伊蔵より最初に「かんろだいのさずけ」を頂く。
明治32年6月14日に出直した。56歳。