かしもの・かりものの教理は、天理教の教えの台です。
私たちが日々働いたり、勉強したり、余暇を楽しんだりできるのは、すべて身体が基本となります。
大抵の人は、「身体は自分のもの」と考えていますが、天理教では、身体は神様から言えば「かしもの」、人間から言えば「かりもの」とお教え下されます。
身体を神様からのかしもの・かりものと考えるか、自分のものと考えるかによって、人生観に大きな違いが出てきます。
身体は親神様からのかしもの・かりものと考えると、貸主である親神様の思召しに添うよう、借り物の身体を「使わせて頂く」という気持ちになります。
人間の身体は同じように見えて、それぞれに特徴があり、長短所もあります。
お互いがそれを生かして使わせて頂くことに、喜びの日々が繋がってきます。