飯降政甚 いぶりまさじん
飯降政甚は、明治7年(1874)12月26日、轢本村で、父伊蔵、母おさとの二男として生まれる。
数え年、5歳で亡くした長男政治郎のことを思い出しては悲しんでいるおさとに、ある日教祖(おやさま)は、
「おさとさん、お前、死んだ政治郎のことをそう思うなら政治郎を返してやるで。今度できたら男やで。先に名前をつけておくで。木は柾ほどきれいなものはない、靭ほど堅いものはない。それゆえ政甚とつけておくで」
と仰せられた。
また、教祖に安産を申し上げると、
「男やろうがな。先に名はつけてあるで」
と仰せられお喜びになった。
政甚を抱いておぢばへ参詣した伊蔵に、教祖は、
「この子は前生は破れ衣服を着て長らく苦行したるによって、そのいんねんで元のぢばへつれ帰って楽遊びをさせるのや」
とも仰せられた。
飯降政甚は明治41年12月14日、本部員として登用された。
書や歌に長けた才を発揮した。
昭和12年(1937)1月18日、64歳で出直した。