ありのままdiary R187.5.27

耳にタコ

今日は、遠方からわざわざ素晴らしい先生夫妻がお越し下さった。

この地に集う布教師のために、お話しして下さり、そしてねりあいで質疑応答の時間を設けていただいた。

その先生夫妻は長いこと単独布教につとめられ、現在は大きな教会の会長としてたくさんの方を導かれているそう。

この地の布教師が多いこともあり、一人一人の質問に丁寧に答えて下さったため、3〜4時間のねりあいとなった。

めちゃくちゃ濃厚な時間をいただき、とても勉強になった。

それと同時に、心痛くなったり苦しさも感じることになりました。

私なりに印象に残った話の要点は

  • 親一条で道具になりきる
  • かしもの・かりものの理を治める
  • いんねんの自覚が大切
  • とにかく布教に歩く。やめずに続ける
  • お尽くしが一番大事。お尽くしを説けるようになりなさい
  • 全て自分の心通りの守護。心によって見える世界、与わるものが変わる

以上のような話をさまざまな角度と例えで説いて下さった。

やはり自らが実践されてきた話ということが分かるように、とても力のある話だった。

すごいなぁ、さすがだなぁと思いながら時間いっぱい聞かせていただいた。

ただ、こうした話の根幹は私がこれまで何度も聞かせていただいてきた話と同じで、表現のニュアンスが異なるくらいだった。

他の仲間はもの珍しい話に感じたそうで、聞き慣れてないとこうした反応になるんだと実感した。

突き詰めて通られた方々の話は力があり、しかも布教師としてだけでなくお道を通る上で欠かせない話は、みな一緒なんだと思った。

これまでの私は、いわゆる耳にタコができるくらい聞いてきた話だったため、

「でたー。またこの話か…」

と判断して即座にシャットアウトしていただろう。

けれども不思議なことに、今は受け入れる姿勢になっている自分に気が付き、自らの変化もすごいと思いながら聞いていた。

その話を丸ごと全て受け止めるかどうかは別として、ためになるなぁと思う濃密な話でした。

やはり4時間ほどのねりあいは心と頭をめちゃくちゃ使うので、終わったら疲れがドッと押し寄せてきた。

そこでも、ちゃんと聞いてたからや、と実感することが出来たので良かったです。

私個人に対して言って下さったことは、

「素晴らしい親に導いていただいている。その親の大きな親心に感謝して、御恩を感じながら返すために歩くことが大切」

でした。

自分でも分かっていることだが、改めて聞かせていただいて再確認した。

今は親々への感謝の心が少しずつ治ってきている道中だから、この生活を通して深めていきたいと思った。

「最終的に言われたことは、皆本気になって歩いて下さい。本気になると変わってくる。どこかで切り替えないといけないよ」

ということを言われ、見抜かれてるのに最後まで言わんかったな、と思いながらダメージを受けた。

仲間たちは、ただでさえ新たな天理教のジャンルと捉えざるを得ない内容の話を聞き、その上で切れ味の鋭い説かれ方をし、心に傷としてのダメージを受けていた。

勇みになるようではなく、少し沈んだような話の沁み方のようだった。

そうした点は、天浦や八生とは違うかもしれないなぁと気付けた出来事でした。

やっぱりすごくてエグい所で育てていただいているのかと再確認させられました。

頂いたお話を少しずつ吸収して行っていきたいと思います。