ありのままdiary R187.5.26

ぢばの理

今日は御本部の月次祭。

おぢばには帰れないため、この地で理を戴く気持ちで歩かせていただいた。

まずは気合いを入れるために駅前で声かけさせていただいた。

わりと多くの方に声をかけ、しっかりあしらわれて気合いが充分入って臨むことができた。

午後には、思いのある方のお家2件を訪ねさせていただいた。

1件目は婦人さんで、おさづけとさまざまな用事を頼まれて通わせていただいております。

先週には家電を数個頂き、教会で使わせていただくことになったのでお礼を込めて行かせていただいた。

以前、一度お願いされたことをしっかりつとめたため信頼されており、今回もお願いされた。

特段気持ちを入れた訳ではなく、これまで教会でしてきたようにひのきしんさせていただいた。

けれども、その方からは丁寧で真面目につとめる姿と映ったようで、何度も

「そんなに丁寧にしなくていいのに。真面目だねえ、ありがとう」

と言って下さった。

教会で自然と培われたものが発揮されてるなぁと思いながら、嬉しくつとめさせていただきました。

その後、おさづけを取り次がせていただき、以前から効能があると喜んで下さっているようでありがたい。

お礼としてお金を下さり、お供えさせていただく旨を伝えると、

「神様にしてもらった訳ではないから、あなたに渡すね」

と言われるので、私は神様のおかげでさせていただいているとお伝えした。

そこでふと思ったのは、ひのきしんの姿やちょっとしたお話の中で、少しずつでも神様を意識していただけたら、という思いで通わせていただこうと決めた。

2件目はおぢばがえりして下さった方で、会長様より、いち早く行ってくれと言われていたので行かせていただいた。

行ってみると早速、お手紙で書かれたことを話して下さった。

会長様から少し聞かせていただいていたが、何人もの方ににをいがけして下さっているようである。

お話しされた内容がとても素晴らしく、教会やおぢばで聞いた話をしっかり心に治められていることが窺えた。

その中で、少し手応えのある方もおられるかもしれなく、楽しみではあるが、とにかく願うだけだと感じた。

その方は順序なども分かっておられるっぽく、心の掃除、切り替えなども理解されてるので、これは私の勉強のためだと思えることになった。

これも味わい、喜んで通らせていただきたいと思います。