ありのままdiary R187.12.10

再スタート

今日は同い年の先輩布教師Sに頼んで一緒に歩いてもらった。

このSとは、岡山の単独布教師が実修に来た時に一緒に歩いた仲である。

ただ、その時私は世間に出るつもりでSにも話していたため、まさか岡山の地で一緒ににをいがけすることになるとは思わず、お互いビックリしたことから岡山生活が始まる。

Sとは、入寮してからも月1くらいのペースで歩いている関係。

しかし、ここ2ヶ月くらいはSも御用などで予定が合わずで一緒に歩ける日がなく、今日は久しぶりであった。

毎回、岡山寮が推奨している対応100件をノルマにして歩いており、今日もしっかり歩かせていただいた。

しかも、私も何回か回ったことのある土地で、この家でこんな人が出てきたと覚えている所もあったがマークしておらず、今日はそこでSが出会うという偶然が起きた。

私が出会った時も好感触だったが、話が長くてそこまで通おうという手ごたえとしては見れておらず、その家をSが訪問する際に

「この家は90歳の話が長いおばあさんが、勝手口から出てくる」

と教えていたが、まんまその通りだった。

詳細に伝えれるくらい覚えていたのに通っておらず、今日は困っていることを言われて今後手助けする流れまで発展した。

おばあさんも、私の顔は覚えてなかったけれども、この前会った人に頼りたかったと伝えてくれたのである。

「おぉぉー、、しくった、笑」

と後悔の気持ちも出るが、これもタイミングの御守護だからなんとも言えないもの。

可能性がめちゃくちゃ高いと思うが、おぢばにお連れして深い関わりが築けれたらいいなぁと願う次第。

Sとは、勇んで歩く中にも色んな話をするが、今日もそれぞれのプライベートの話など、さまざまなジャンルの話ができ、楽しく且つ勇んで歩けたからありがたかった。

OB目線として、OBと寮生の関係についての議論も交わし、考えていることも伝えたりして気も紛らわせれたしスッキリ出来たから有難い。

アウトプットして分かったが、これまでの私は基本的に、思ったことを誰に対してもど直球にぶつけて意思表示するタイプの人間であった。

相手に自覚させるためという正義感と認識した高い心と、私の立ち位置的に低い身分だから責任とかも持っていなかったからだと実感する。

これまで、多くの人を傷つけ潰してきたであろうと推測したし、あながちその通りだと思う。

しかし、今の環境は私が年長で責任感しか持たされていない。

しかも、the若者世代の歳下ばかりで、すぐに落ち込むし頑張れないタイプしかいないという環境。

体育会系で過ごしてきた私は、これまで通りに接しれば余裕で潰してしまうことが見て取れる。

そうした環境で共に暮らすということは、しっかり相手の気持ちを慮って優しく丁寧に接し、尊重と思いやりの心が必須になってくるが、私にとってはめちゃくちゃ大変なこと。

この部分が1番足りてないことを自覚しているため、成人のために与えられている環境だなぁと感じる日々。

変える→変わる

を意識して、私の見方と受け取り方を変えていき、喜んだ日々を送れるように努力しようと感じた。

昨日と今日で再確認したことがいっぱいあったため、一つ一つ吸収して身につくように取り組もう。

なんせ、今日は頑張れたからよかった。

あざした。

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