切れては繋がり繋がっては切れる
今日はこのタイトルを痛感した日となった気がする。
今日は一日通して雨が降り続いた。
雨の日の憂鬱具合はホンマにどうにかしたいと思ったり思わなかったり。
急遽、午後からMさんとの予定ができたため、午前中はどう歩こうかと迷っていた。
半日しか行けんし一旦帰って来なければいけない。
それなら遠出できないし、しかも雨…
こんな感情がグルグルして考えていると、ある仲間が近場を回るとのこと。
久しぶりに一緒に回ろうと思って誘い、近いのに一回も行ったことのなかった地域を回ってみた。
案外、皆さんの対応は優しい方が多く、そんなに回ってないんかなぁという手応えだった。
その分回りやすくて、短時間やったけど良い時間となった。
しかも、久しぶりに有難くて嬉しい出会いも頂けたからバンバンザイ。
ある老婦人が出てこられ、一回だけおぢばを参拝したことがあって天理教は大好きだと伝えてくれた。
それは昔のことだから、もう一回行って神様のお話を聞いてほしいと頼むと、歳だからと断られる。
なんせ90歳を超えているから無理もない。
では身体の調子はと聞くと、喘息持ちと教えて下さったからおさづけを取り次がせていただいた。
取り次ぎ後、お供えのお願いをしようとしたら自らお渡しして下さり、ビックリしたしほんとにありがたかった。
お力になれることがあると思うし、おぢばも諦めずに誘い続けたいと決意した出会い。
靴まで濡れてイヤな気持ちになったが、Mさんとの予定を果たしに向かった。
その予定とは、お互いの思いのある方のもとへ一緒に声をかけに行くということ。
合わせて3名の方を訪ねて声かけしたが、ことごとく希望がなくなる。
以前、おぢばの可能性を示唆していた方もいたが、それも無理そうだとのこと。
まさに新たな出会いがあったらどこかが無くなり、無くなって落ち込むところに別の可能性が生み出される。
その繰り返しやなぁとつくづく感じた盛りだくさんな一日。
明日はこの地でのお祭りです。
勇んでつとめましょ。