年祭活動2年目の今、とある土地で新たな布教環境を通っている1人の布教師のありのままdiary。
2024年が終わりに近づいているこの時期にして、初めてこの記事を連載する人物を紹介することにした。
この記事の中身は、八生兵庫(天浦)に住み込みとして育てて頂いた青年で、現在は「布教の家岡山寮」にてにをいがけに歩いている人間である。
正体不明にしていた理由
だれが連載しているのかを公開すると、その人間性を見られたり、関わる周囲の人たちが限定されてしまうことから、色んなことを考慮して正体不明でいようとしていた。
そして、初めからこの記事を書いている人間が分かった上で読んでもらうよりも、誰が書いてるんだろう?
という思いで見て頂いた方が、人物イメージもなくて真っ白に、シンプルに受け止めて頂けるかもしれないと判断し、極力どこの誰かは伏せて書くことを心がけていた。
ただ、これを読むことで、人物像を抜きにした場合にどのような評判が出るのか、自身も知りたくて試したい気持ちもあったことが素直な気持ち。
以上の理由から、せめて半年以上は正体不明でアップし続けることに決め、隠すために表現を工夫したり、周囲の人間像もボカすことに努めたが、それも難しいことだと実感して苦難しながら続けたようなものである。
まぁ、始めてみれば会長さんが拡散して下さったり、読んでいれば私だと分かってきたという意見も頂くようになってきた。
※中には、読んでほしくて自ら紹介して読み始めてくれた人も何人かいます。
このような道中も半年後が経過した最近、八生兵庫の青年Nとお話する中に、
「もっと正体をさらけ出した方が読みやすい。人物像が分かった方が気持ちを理解しやすい、共感できることも増えて楽しく読めそう」
というアドバイスをくれ、ちょうどいい機会だから公開することに決めました。(決してもったいぶっていた訳ではなく、私の存在を明かすことで、岡山寮に居る八生の人間、というイメージがさまざまな所で障害となる可能性を懸念していた)
プロフィール
- 飯田望夢(20代後半)
- 幼少期より、両親の事情を通してたすけて頂き、住み込みとして20数年たすけられている。
- 天理高校2部→専修科→本科実践課程にて育てて頂き、おぢばでの生活で求道心も培った。
- いざ天浦分教会に帰って現場を目の当たりにすると、教会の人たちと同じ通り方が自分には出来ないことを痛感し、生涯を捧げることに嫌気がさして挫折を味わう。
- 御恩や因縁の自覚を考えることも面倒くさく、そういう類のワードが嫌いであった。
- 神様を感じる努力をやめ、背を向ける日々を送り、年祭活動の意義すら考えることがなかった。
- 「教会から離れたい。世間に出て仕事して自由な生活がしたい。親と同じ因縁の姿になってもいい。どうでもいいから、この先で苦労してもいいから、どうせ苦しむなら教会を離れて楽しい暮らしをしよう。」
- 会長さんや後継者に、上記の気持ちと教会を出て仕事する思いを1年以上伝え、何度も説得される。
- 折れずに思いを通すと受け止めてもらい、仕事探しに励んでいた最中、突如の変化が訪れる。
- 年祭活動2年目を迎えて間もなく、大震災をはじめ、さまざまなふしが重なったことによって思案し直し、一旦仕切って改めて布教に励む心を定めたのである。
- そこで、親の声の1つ「布教の家」という思いを受けて岡山寮に入っている。
人間ってすごい。
落ち切ったら、人目を気にしてビビって過ごしていた私も、人目を窺うことをやめたり、どうなってもいいという考えに至るんですね。
あの時は、怖いものなしというくらいに腐り切っていたように思う。
現在は、多くの出会いを通して心に変化が出る日々を送っている。
自覚はないながらも、周りの人から
「すごい勇んでいる」
というお声を頂くのが不思議なほどだ。
天浦や八生の人たちからも、
「顔つきが変わった。八生の会長さんはじめ、みんな喜んでくれているよ」
という声をかけてくれる。
思いを持っているが特段頑張れておらず、未熟過ぎる自分と向き合う日々を過ごす私にとって、こうした言葉をもらえるのが不思議なくらいだ。
けれども、喜んでくれる人の姿を見たり評判を聞くと嬉しいし、それも元気の源、勇の種となっているから有難い。
ただいまは、前寮長先生より課せられた
「年末までの初席者の心定め」
に向けて苦悩している。
できるできへんよりやるかやらんか、と思ってしっかり達成に向けて頑張りたいものですね。