葬儀ひのきしん
今日は、お世話になっている先生の教会の前会長様が数日前に出直されたということで、告別式のひのきしんに行かせていただいた。
その前会長様とは直接的な関わりはないが、さまざま陰の恩はあるから感謝の思いも持って一生懸命つとめさせていただいた。
駐車場のひのきしんをはじめ、届いた弁当の袋分け、会場の撤収などをつとめてきた。
お礼にと、巻き寿司をめちゃくちゃ頂き、ありがたく満腹になるまで食すことができて嬉しいものだった。
昼過ぎに終え、昨日の疲れもあるからホッと一息つきたくて休もうとしたが、さまざまな連絡が入って休もうに休めなかった。
未熟者のおたすけ人
ある先輩布教師から突然連絡が入り、Yさんのことで色々と考えなければならないことが増えることとなった。
「たまたま戸別で出会い、なにか問題を抱えているそう。聞いてますか?」
ということである。
え、なにが…?
と思い、再確認するためにYさんに連絡した。
すると、以前に会長様によって助けて頂いたことがあったが、それの延長線だということを聞かされた。
まじか、私のではどうにも判断できない、会長様に伺うしかない…
と思いながらも、何度も同じことを繰り返してしまう気配がしたため、以前1回勧めた修養科を再度勧めてみた。
すると、気持ち的な問題はあまりないが、現実的な問題をクリアしなければ決断もできないと言われる。
私は、この問題を解決するための一般的な知識を持っていないため、どのように説明して勧めていけば良いのか分からなかった。
とにかく、3ヶ月でたすけてもらえると思うということしか伝えられず、説得力のない話だと自覚しながら話していた。
その後に会長様に相談すると、助けはできるが、本質的なおたすけに発展させていかなければいけないと言われ、
「これまで勢いとおぢばの理などのおかげで人をお連れ出来ていたが、ちゃんとしたおたすけは足りてないな。」
という指摘も頂いた。
ごもっとも過ぎて言葉が出ない。
けれども、続けて、
「Yさんの見直し、立て替えのために行って頂きたいという思いを分かりやすく伝えてみてはどうか?」
とのアドバイスも下さった。
たしかに、おたすけも足りてないが、たすかることへの信じる心も足りておらず、それが伝える力に表れていることを痛感した。
けれども、会長様の最後の言葉は
「とにかく起こってくることを喜ぶ」
であったから、まずは喜んで受け止め、向き合っていくことから始めていこうと思えた。
会長様との電話の後、再びYさんに連絡して参拝に来てもらうことにした。
夕づとめの後におさづけもさせていただいたが、Yさんもおさづけで御守護を頂けていたことを話してくれた。
これからは、前よりも足を運ぶ回数を増やしてもらうように伝え、今後の歩み方について少しずつお話できたらいいなぁと思った。
人さんを導いて運命を背負うような流れになる時、こんなにも責任感が出るのかと痛感し、なかなかキツイと感じてしまうが、私の成人とたすかりのためにも真摯に向き合っていかなければいけない。
一歩ずつ進んでいけるように努めていこう。