9月始まり
9月が始まった。
この地に来て5ヶ月が経過し、半年目が始まった。
今日は午後から、「ようぼく躍進の集い」というイベントがあり、内統領先生のお話と2名の方の感話を聞かせていただく日であった。
にをいがけは午前中の、しかもわずかな時間のみの布教となったため、タイミング的にMさん宅を訪れることにした。
Mさんに用事があったのと、にをいがけの報告を受ける目的があり、結果的に全時間を費やした。
既に好反応な方3名ににをいがけされており、もしかしたら近々お会いすることになる。
緊張により喜び切れていなかったかもしれないが、成ってくるために裏付けが必要だと感じていたからだと思う。
なんとか今月におぢばがえりできるよう、少しずつ頑張っていきたいものですね。
午後から躍進の集いに行かせていただいたが、内統領先生のお話は神殿講話以外で初めて聞かせていただいた気がする。
内統領先生は堅そうな雰囲気を醸し出す見た目だが、お話は予想以上に柔らかく、めちゃくちゃ聞きやすかった。
面白く、且つタメになる要点が多く、普通に楽しんで聞いていた。
このdiaryに記すためというのもあるが、シンプルに内容を刻もうと思ってメモしていたのが不思議だった。
内統領先生 お話抜粋
- 心定めは、おぢばや上級から打ち出されたものでなく、自分で定めたことを自分でする
- 日々が大切。日々の小さな種まき、苦労の積み重ねが旬に合ってくる。道中で起こってくる障害を乗り越えて続けることが肝心。
- 信者さんは、よく心をかけ、話を聞いてもらえる理を作る。
- 成人とは、今まで出来なかったことが、ちょっと出来るようになること。自分がどうなったら教祖が成人したと言ってくれるのか考える。
- ひのきしんのお手は、おぢばに駆けつけ、種を蒔き、そうして神様の御守護を頂きたいをあらわしている。日々は、おぢばを思ってひのきしんに励む。思えば思うほど、御守護を頂ける。
- 理=親神様の「たすけてやりたい」という思い
- 道標になろう→ついて行くと助かる所に行けると思ってもらえるような道標になること。
- 神様の思いを伝えたい、どうすれば分かってもらえるか、どうやったらおぢばに帰ってもらえるかと苦心することが、教祖のひながたを辿ると言える
- 教祖の年祭は、その日ではなく、「今が実際である」(真柱様)
以上がお話の要点だと受け止めた。
先生は、定期的に小ボケ・ジョークをはさみ、会場の雰囲気を持っていき、皆さんを楽しませながら良い話をされた。
とても素晴らしく、1時間ほどのお話だったが、ほとんど退屈に感じずに求めて聞けたことがありがたかった。
お二人の感話も、感動するものがあり、皆それぞれの持ち場立場で苦労されていることを感じ、勇気をもらえた。
私も勇気を与えられるよう、まずは小さな積み重ねを励んで頑張りたいものですね。