松永分教会(河原町) 福谷則之さん
2人目の声を下さる方は、現在、愛知県名古屋市にて家族で単独布教に励んでおられる河原町大教会部内、松永分教会所属の福谷則之さんです!
福谷さんは布教の家愛知寮を卒寮された後も、そのまま名古屋に残って単独布教に励み、結婚してからは家族で布教生活を送っておられます。
その福谷さんが天理教校学園に在籍していた時、八生兵庫の後継者である西村真一さんの担当生徒として寮生活を送っていました。
また、八生兵庫の中の者と大親友で、お道の話や布教について何度も語り合った仲なのです。
そうした関係から、今回2人目として引き受けて下さりました!
経歴
R159 天理教松永分教会の次男として生まれる。
高校からおぢばに住み、天理教校学園(R175)・天理教校専修科(R178)を経て、天理教校学園あらき寮寮幹事(R180)をつとめる。
幹事終了後に布教の家愛知寮(R183)で布教に勤しみ、卒寮してからも名古屋で単独布教に励む(R184)。
結婚(R185)し、天理教松永分教会名古屋出張所を開設。
娘を出産(R186)してからは、娘を連れて家族で布教に邁進している日々です。
なぜ布教師を志したのか?
ただ布教がしたくて、布教師になりたかった。
父である教会長からは仕事を勧められていたが、道専務で生きていきたいという気持ちが勝り、道専務としては、布教師という選択肢以外で自分が生きていく方法がなかった。
憧れの存在
- 西村真一先生(担当幹事・八生兵庫分教会後継者)
- 森正徳先生(専修科の担任)
- 松田令子先生(妻の祖母)
- 柏木庫治先生(東中央大教会初代会長)
好きなお言葉
出張所を開設するにあたり、松田令子先生より頂いた御揮毫で、常に心に置いて歩いております。
敷居が高いと感じる人に対して、それでも布教を勧める理由は?
私が布教の家に行かせていただいた時はコロナ絶頂期でした。
入寮したばっかの4月7日に緊急事態宣言が発令され、布教に出れない日々が続きました。
戸別訪問やチラシ配りなど、今まで当たり前に布教師が行ってきたにをいがけができない。
寮内で練り合いをして出した答えが、とりあえずハッピを着て歩こうということでした。
こんなことで何になるんだって思っていた矢先、
「天理教の方ですよね?たすけてください。」
そう声をかけて頂きました。
他にも、ハッピを着ているだけでたくさんの方に声をかけて頂き、おたすけに出会い、おぢばがえり、そして別席を運んでくださったりしました。
なので、私は敷居が高いと感じている人には無理に布教師らしいことをしなくても、ハッピを着てただ歩くだけ、リーフレットをポストに入れるだけ、というつとめ方を勧めます。
それでもいいと私は思いますし、それも布教だと思います。
信仰の目覚めと体験談
東中央大教会初代会長 柏木庫治先生は、にをいがけをすると随分助かると仰せられています。
その中に、
「足を運んでいくと、運命の道が拓けて行きづまらない運命を頂戴する」
「断られて嫌われたことによって前生の悪いんねんを切っていただける」
と仰せられます。
本当ににをいがけを続けていてそんなことになるの?
と思われがちですが、私は確信を持ってその通りだと言えます。
私がそのように感じる話が本当にたくさんあるからです。
この年祭期間の布教道中に、そう感じることができた機会がありました。
1つ掲載させていただきます。
身上のたすかり。そして決意
私は、物心ついてから大きくなるなるまで、有難くも元気に過ごすことができていましたが、一度だけ大きな身上のさわりを頂いたことがあります。
19歳の夏でした。
当時、天理教校専修科に通っていた私は、夏休みの帰省中に上級教会の月次祭に参拝させていただいておりました。
参拝も終わり、片付けのひのきしんをしていた時、突然、腹部に激痛を感じたのです。
皆さんにとって、人生で一番の痛みを経験したのはいつですか?
私にとっては、まさにこの腹痛こそが人生でダントツ一位の痛みでありました。
言い表すと、プロボクサーにお腹を三秒間に一回殴られ続けているような痛みでした。
まぁ、当然プロボクサーに殴られたことはないのですが(笑)
しかし、とにかく痛かったのです。
お腹が痛いので、何か変な物でも食べたかな?と考えながら、ひのきしんも出来ない状況でうずくまっていると、偶然そこにおられた兄弟教会の会長さんが
「おい!!それはまずいぞ。多分俺がなった病気と同じや!!今すぐに病院にいけ!それは腹痛じゃない!精巣や!!!!」
そう言われ、そんなバカなと思いながら陰部に触れてみました。
「ビビビビビビビ!!!」
全身に電気が流れるような激痛があり、
「せ、せ、精巣だ!!!!!!」
と思いました。
実は、その時私は精巣捻転という病気になっていたのです。
精巣捻転とは、簡単に言うと、精巣がねじれて血管が締め付けられ、血流が途絶され精巣が懐死する病気です。
そして、なんと痛みが出てから6時間以内に手術をしなければ精巣が腐り精子が作れなくなるというのです。
泌尿器科に着いた時にはかなり時間が経っていたので、先生から
「精巣の摘出も覚悟してください」
と言われ、即手術となりました。
手術が決定し、移動式のベットに横になり手術室への移動が始まったその時、
「ちょっと待ったーーーー。」
と、会長である父がけ込んできてくれ
「5分時間をください」
と言っておさづけを取り次いでくださいました。
上級教会では、多くの方がお願いづとめをしてくださったそうです。
手術は予定よりも早く終わり、術後の先生の話によると、私の精巣は複雑にねじれていたそうですが、ねじれているところを触った途端、一瞬でねじれが解け、摘出もなんとか免れ、再発しないように固定するだけで済んだということでした。
不思議な御守護を頂き助けていただきました。
本当にありがたかったです。
しかし、その時お医者さんからこんなことを言われたのです。
「子供が授からないかもしれません」
当時の私は、まだ子供を授かるとか結婚とかを考える年齢ではなかったこともあり、正直そんなに重くは捉えていませんでした。
教会の次男であったことから、父からは世間で働きながら信仰して教会を支えてほしいと言われていましたが、不思議な御守護によって助けて頂いた私は、なんとかこのお道を通らせていただきたいと思い、無理を言って布教の家愛知寮に入寮させていただきました。
私は布教の家に入らせていただいて布教に歩くようになり、自分の運命が大きく変わりました。
今回は、長くなるので割愛させていただきます。
そして、縁あってそのまま名古屋に残らせていただけることとなり、今もずっとこの名古屋の地で布教に歩かせていただいております。
布教の家卒寮後、布教の家の同期だった妻とお付き合いさせていただくことになり、結婚の運びとなってきた時、目を閉じると
「子供が授からないかもしれません」
と言われたお医者さんの声が何度も聞こえてくるようになりました。
妻にも、妻のご家族にもその旨を念を押して伝えました。
しかし、それでもぜひと言ってくださり、2年前の年祭活動が始まる前の10月1日に結婚させていただくことができました。
結婚してからは、妻も布教の家を出ていたこともあり、夫婦で布教に歩かせていただいております。
夫婦で歩かせていただくというのは、本当にありがたいことです。
そんなありがたい、自分にとって理想の生活をしている中で、やっぱり気がかりなのは子供のことです。
正直、自分と妻の間に子供が授かる未来が全く見えませんでした。
妻のご兄弟は妻以外に3人いるのですが、全員この数年の間に結婚され、お子さんを授かっていました。
そのお子さんの写真を見て
「かわいいな」
と言う妻の姿を見るたび、授からない身体だったらどうしようという気持ちが高まってきました。
「ごめんな。俺との間には授からないのだ。」
とまで思っていました。
この先長い期間、この問題と向き合い続けていくのだろうと思っていました。
そんな気持ちと向き合いながらも、がむしゃらに夫婦揃ってにをいがけに歩かせていただきました。
11月15日 結婚して一ヶ月と半月
早朝に突然妻に起こされ、妻から子供を授かったと報告を受けました。
衝撃的すぎて急すぎて頭が追いつきませんでした。
妻には申し訳ないのですが、妻のことを何度も疑ってしまいました。
そして、落ち着いてきてはじめに出てきた気持ちは
「よかったーーーーーーーーーーっ」
という安心の気持ちでした。
そしてその後にありがたいなぁ…
嬉しくて本当にありがたかったですし、その時の気持ちは忘れられません。
2月24日 お腹の赤ちゃんの検診日
妻に任せてにをいがけに歩いていると、検診に行っていた妻から急に電話があり、出ると
「赤ちゃんが、赤ちゃんが、、、」
と泣いていました。
落ち着いてから話を聞くと、おなかの子の心臓の位置がおかしく、「先天性横隔膜ヘルニア」かもしれないと診断を受けました。
先天性横隔膜ヘルニアは、お腹と胸を分けている横隔膜という薄い筋肉の膜に生まれつき穴があいている病気のことです。
この穴から、小腸、大腸、胃、脾臓、肝臓といったお腹の臓器が胸に入り込み、肺が圧迫されます。
生存率80%で、もしうまれたとしても肺が圧迫され、形成がされず常に人工呼吸器生活かもしれない病気です。
初めはびっくりしましたが、私は元気で生きているし授かっただけで奇跡だと思っていたので、落ち込んだりすることはありませんでした。
会長である父に相談をすると、私の家の初代は自分の子供が7人いたが、肺病で5人出直され、そこからこの道を信仰するようになって助けて頂いたというお話を聞かせて頂き、福谷家のいんねんと向き合うチャンスを頂いた、必ず助けていただけるように心を尽くしなさいとお話頂きました。
夫婦で話し合いを重ね、やっぱりにをいがけ、おたすけだと心に誓い心定めをさせていただき、おぢばの御用、教会の月次祭などなど、どんなに忙しい日であろうと必ずにをいがけに歩く時間を作りました。
検査は続き、大きな病院を受診し検査を受けたところ、横隔膜ヘルニアではなく「先天性嚢胞状腺腫様形成異常」通称シーカムといって生まれつき肺に嚢胞と呼ばれる袋状の腫瘍が多数できてしまう病気であることが分かりました。
どちらにしても心臓が右側に押しやられてしまうほどの状態で、生まれても即手術をしなければいけないという難病には変わりないのです。
しかし嚢胞は成長するにつれて小さくなる可能性もあり、通り方次第で良くなるかもしれないということになってきました。
嚢胞は日に日に小さくなっていき、ありがたいことに昨年の7月16日に元気な女の子が生まれました。
しかも、嚢胞は小さくなっていたので即手術というのもなくなり、体が大きくなった半年後に手術をしていただけることになりました。
家族三人でおぢばに帰らせていただきお礼を申し上げた時は本当に産まれたのだ、ありがたいありがたいと夢のような気持ちでした。
半年後の手術まで必ず助けて頂けるよう、やれることはとことんやろうと精一杯のお尽くしをして、また気持ちを入れ直して、娘を背に負い喜びを噛み締めながら必死に歩かせていただきました。
そして今年の一月末、無事に手術も成功して助けて頂きました。
今では本当に元気すぎて危なっかしくて目が離せないです。
家族写真
また、本当にありがたいことに、来月には第二子を出産予定となっております。
授からないと言われていた私からしたら奇跡の連続です。
改めて振り返ってみると、授からないという考えが頭から離れなかったり、考えたくなくても考えてしまう、あれこそいんねんの姿であり、私自身がもともと通るはずだった運命だと思うのです。
お腹の赤ちゃんのこともいんねんの姿であり、赤ちゃんも横隔膜ヘルニアになってしまう運命だったと思うのです。
そう思うと、にをいがけに歩かせていただき、本当に助けて頂いているなと感じます。
「足を運んでいくと、運命の道が拓けて行きづまらない運命を頂戴する」
「断られて嫌われたことによって前生の悪いんねんを切っていただける」
改めて、布教におたすけに歩かせていただくと、本当にいんねんが切れ運命が大きく変わるということを実感しました!
この道こそ、諦めかけていた未来や夢が現実になっていく道であると私は確信しております!
布教に歩かせていただくと親神様が必ず御守護くださいます。
布教には夢とロマンが詰まっております!!!!
私の夢は生涯布教師として生き抜くことです。
これからも精一杯おたすけに歩かせていただきます。