畑林為七 はたばやしためしち
嘉永3年(1850)11月23日、現在の三重県南牟婁郡御浜町下市木に父半治郎母さきの第5子として生まれる。
入信当時、行商をしていたが、明治20年(1887)、隣村の山田作治郎(現南海大教会の初代会長)が病気療養のため大阪に行くにつき、付き添いと案内を依頼されて同伴した。
途中予定を変更して、はじめて「おぢば」へ帰る。
そのとき山田作治郎の身上に見せられた不思議な救済の事実を目撃して、共に信仰するようになった。
帰宅するや直ちに布教をはじめたが、拝めば不思議にたすかるので、その年の12月には講社(67名)を結成するに至った。
そして、12月28日には、山田作治郎結成の7名を加えた74名の講社名簿をもっておぢばに帰り、初代真柱より山田、畑林の二人講元で「正明講」の講名を拝受。
明治24年に南海支教会設置後は副会長として教務に努めた。
明治33年、南海初代会長山田作治郎の後を継いで2代会長に就任する。
明治44年、本部員に登用。
昭和4年(1929)12月18日に出直す。80歳。