芝村清蔵(木下清蔵) しばむらのせいぞう
木下清蔵のこと。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』12ページに出てくる芝村の清兵衛も同一人物と思われる。
大和国式下郡法貴寺村(現、磯城郡田原本町大字法貴寺)の前川家に生れる。
前川喜三郎(城法大教会初代会長。本部員)の弟。
前川喜三郎は文久3年(1863)30歳の時、妻を蛙が痛で苦しんで庄屋敷村を訪ね、教祖のおしこみを受け入信、後に喜三郎は心実講を結び熱心に布教した。
弟の清蔵は芝村(現、桜井市芝)の木下家へ養子に行き、行商などしながら神様の話を伝え歩いた。
大豆越村の山中忠七へ「にをいがけ」(においがけ)したのも清蔵である。
忠七は元治元年(1864)入信であるから、清蔵の入信と布教活動はその以前からと言うことができる。
元治元年起きた大和神社の節に際しては、10月27日山中家へ出向いた一行の中に芝村清蔵がいる(『稿本天理教教祖伝』56頁)。
一行は大和神社前で、鳴物入りで「なむ天理王命」を唱え、大和神社の神職よりとめ置かれ、3日間足留めさせられた。この節より信仰の浅い者は不安を感じ落伍する者も出たといわれる。
清蔵の信仰は衰えなかった。
現在子孫が織田分教会(旭日系)を設置している。生没年不詳。