上田いそ うえだいそ
山澤利助、べんの娘として生まれた。
山澤良治郎の妹。
明治26年(1893)10月2日の「おさしづ」に「上田いそ58才身上障りの願」とあるので、天保7年(1836)の生まれか。
その後、大西村(現、桜井市大字大西)の上田平治に嫁いだ。
姉そのが山中忠七の妻になっており、山澤家・上田家・山中家の元治元年(1864)の入信は、この関係によるともいわれる。
子供の民蔵をつれてよくお屋敷に帰ってきて、教祖(おやさま)の側に奉仕した。明治20年陰暦正月26日のおつとめの時、かぐらづとめを勤めた女性はいそだけである。
その後も教祖の側に仕えていたが、明治21年頃身上の患いを得て、
「内々一寸身に不足、世上理身の一寸不足、世上が鏡、いかなるもかりもの、心我がもの、心通り鏡に映してある。……その身ならたんのうが誠、誠一つ天の理、この理を聞き分けてくれねばならん。」(さ21・7・29)
と、諭されている。
明治23年9月16日、おさづけの理拝戴。
明治26年から27年にかけても身上を得ていたようで、この間4回「おさしづ」をうかがっている。
明治27年6月19日出直した。59歳。