いんねんとは?
原典・おさしづに
思ふやうになるもいんねん、ならんもいんねん、みんないんねん、しらず/\こせばどんないんねんもつてでるやらわからん、どねしてもならんがいんねん、金銭力でいけば、世上一つの理もあろうまい、金銭力でいかんがいんねんという
明治23年8月25日
とあり、自分の意志とは無関係にお金や力・権力ではどうすることもできない運命的なもの、それがいんねんであるとお教え下されています。
身体は「かりもの」であり、心一つが我がの理とお教え下され、この心一つで人間は色々な道を、色々な心をつかって歩んでいます。
この心遣いが種となり、過去に蒔いた種の心遣いは全て、善きも悪しきも生えてきます。
これがいんねんです。
人間は一代だけでなく、何度も生まれ変わり、出変わりしてきます。
したがって、いんねんといっても今生だけではなく、前生のいんねんもあります。
そのいんねんによって、それ相応に現在の生活が与えられると教えられます。
天理教では、このいんねんを切ることをお教え下されます。
代々のいんねんを自覚し、心遣いを改めていけば、いんねんを切り、末代への成人を歩むことができるとお教え下されます。
親神様はいんねんを自覚させ、陽気ぐらし実現の役に立つ人材となるよう、各人の成人をお促し下されています。