扉を開くとは?
原典おさしづに
さあ/\すつきりろくぢにふみならすでさあ/\とびらをひらいて/\、一れつろくぢ、さあろくぢにふみだす
(明治20・2・17)
神がとびらひらいてでたから、こどもかはいゆゑ、おやのいのちを二十五年さきのいのちをちぢめて、いまからたすけするのやで、しつかりみてゐよ、今までとこれからさきとしつかりみてゐよ
(明治20・2・18)
と仰せられています。
「扉を開く」というのは、教祖が現身を隠される事を言います。
もともと教祖は「月日のやしろ」と言われていますが、そのやしろの扉を開くということに関連して、「扉を開く」と表されています。
しかし、教祖が「扉を開かれる」というのは、ただ教祖の死を意味するのではなく、お姿はおかくしになられるが、魂はいつまで元の屋敷ににとどまり、「存命の理」としてお働き下されるということです。
教祖は、百十五歳の定命を二十五年縮めて、世界一列に道をつけるために「扉を開かれた」ため、「いまからたすけするのやで、しつかりみてゐよ、今までとこれからさきとしつかりみてゐよ」と仰せられています。