徳とは?
世間でも、「徳がある」「徳を積む」などと言いますが
おさしづに
ふじいうの処たんのふするはたんのふ、とくをつむといふ、うけとるといふ、これ一つきゝわけにやならん、何もあんじる事いらん
(明治28・3・6)
ぜへたくしてゐては道つけられん、きゝわけ、わらじはいてだん/\はこび、おもくとくつんでこそ理がきく、所々どこからどこまで教会なつたげな/\いふばかりではならん
(明治31・11・4)
と仰せ下されます。
すなわち天理教では、難儀不自由の中も、ぜいたくを求めず、喜んで通るところに、徳を積ませて頂け、積んだ徳は必ず神様が受け取って下さるのです。
教祖は、徳を積まずして結果的なご守護ばかりを求めたり、先案じをしていてはいけないとお教え下されているのです。
おさしづにはこの他にも
もうこれ年限にとくつけてある、こころだけみなそれぞれさづけてある、めん/\とくがつけてある、そのとくだけをめん/\ようはたらかさん、第一どうもならん (明治22・7・31)
と仰せ下されるように、長い年限ふせこんだ理は、徳となって身についています。
しかし、せっかくの積んだ徳も、そのままにしていまうと減らしていくことになります。
常に徳を積み、心を成人させていくことが大切なのであります。