路銀とは、本来旅をする時の費用のことです。
ですが、天理教でいう“ろぎん“とは、たすけ一条の旅に出る布教師に、神様から特別に授けて下さる“おさづけ“のことを表しているのであります。
旅をするのに路銀が必要であるように、人たすけの布教には、このおさづけが絶対に必要であることを路銀に例えて言い表しているのです。
世間でいう旅の路銀は、なるべく使わないようにしなければなりませんが、お道のろぎんであるおさづけは、なるべく多くの人に使わして頂き、1人でも多くの人にたすかってもらわなければならないのです。
おさづけがろぎんであるということは、教祖が肥のさづけを下さる時に
「長の道中路銀無うては来られようまい、路銀として肥授けよう」
と仰せられたことに始まります。
道の初めは、百姓の信者が多く、百姓をしながらお道につくすことは、当時としてはなかなか容易ではなかったので、肥を買わないで済むようにろぎんとして肥のさづけを下されたものと思われます。
ろぎんという言葉は、おさづけ以外に、原点の中で、
「国々処々に応法の道として教会名称の理を許したのは、“ろぎんを渡したようなものである“」
という意味でも使われております。
また「心のろぎん」ということも言われております。